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趙雲の墓は存在するの?中国の三国志観光スポット旅行

2018年1月21日


 

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1984年安徽県馬鞍市で呉の武将の墓が見つかりました。出土した木片に書かれていた名前から、この墓が関羽(かんう)の宿敵・朱然(しゅぜん)のものであることが判明しています。墓からは蜀で作られた漆器も見つかっています。話を聞くだけでも三国志ファンであれば興奮するのではないでしょうか。

 

観られるものなら観てみたいですね。三国志に関連する遺跡は他にもたくさんあります。今回は実際に観ることのできる三国志の観光スポットや、ファンの多い趙雲(ちょううん)の墓について解説していきます。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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趙雲の墓は存在するのか?

 

蜀の武将で絶大な人気を誇るのが五虎大将の一人である「趙雲」です。三国志で一番人気は趙雲かもしれません。そのお墓ともなれば、間違いなく観光名所になっていることでしょう。しかし、中国では昔からこのような重要な遺跡をないがしろにする傾向があります。インフレの工事のためにあっさりと破壊したりもするのです。

 

はたして趙雲の墓は大丈夫なのでしょうか?残念ながら趙雲の墓もやはり破壊されていました。亡骸は銀屏山に葬られたのですが、その墓はもはや原型をとどめてはいません。

 

 

趙雲墓の場所、アクセス方法

 

しかし、がっかりしなくても大丈夫です。政府の協力もあり、趙雲を慕う民衆の協力もあり、趙雲の墓は新しく建て替えられて存在するのです。四川省の成都市から西へ車で1時間ほど行った場所(成都市からおよそ40km)、「大邑県の静恵公園」に趙雲の墓があります。公園内の「子龍祠」がそれです。子龍は趙雲の字ですね。ここには石碑の他に趙雲の像も祀られています。

 

日本では天平文化の時期に一時、乾漆像や塑造の仏像がブームになりましたが、こちらに祀られている趙雲像も塑造です。東大寺にある国宝・秘仏の執金剛神立像と同じ造りですね。

 

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中国旅行での三国志観光巡り

 

三国志好きが中国を旅行するのであれば、このようにメインは四川省になるのではないでしょうか。三国志の時代でいう益州、つまり「蜀」です。蜀の都であった成都が、現在の四川省成都市になります。成都市でもっとも人気の観光スポットは「武侯祠」です。あの三国志でもっとも有名な諸葛孔明を祀っています。諸葛孔明の像の他に劉備の像も祀られており、さらに武侯祠の隣には劉備の墓である「恵陵」があります。

 

剣閣で守りを固める姜維

 

他にも張飛廟や姜維(きょうい)の墓など、三国志演義好き(蜀ファン)が興奮する観光名所が目白押しです。武侯祠の近くには「万里橋」があり、こちらは諸葛孔明が費禕を呉への使者とした際に、「万里の行も此の橋より始まる」と語ったと伝わっている橋です。中国の主要都市である北京や南京、上海からはかなり遠く、はるか西方にはなりますが、三国志を強く感じたいのであれば「成都空港」に降り立つのがベストではないでしょうか。

 

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姜維特集

 

 

はじめての三国志ライターろひもと理穂の考察

 

三国志は2世紀後半から3世紀後半にかけてのお話です。日本では卑弥呼(ひみこ)が国を治めたり、邪馬台国(やまたいこく)があった頃の時代になります。日本だと当時の建築物などはほとんど残っていません。奈良に卑弥呼の墓ともいわれている箸墓古墳という前方後円墳があるくらいです。

 

そう考えてみると、三国志を楽しむだけでなく、日本にいると体験できないような遠い昔の歴史を感じることをできるのが、三国志観光の醍醐味かもしれませんね。

 

現代の中国はずいぶんと文明国になっており、インターネットももちろん配備されています。チャイナデータという中国専用のポケットWiFiルーターもありますので、地図や歴史についていくらでもスマホで検索しながら旅行することも可能です。これなら余すことなく三国志名所巡りができますね。三国志ファンがお腹いっぱいになるのは間違いないでしょう。

 

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英雄の墓

 

 

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ろひもと理穂

三国志は北方謙三先生の作品が一番好きです。 自分でも袁術主役で小説を執筆しています。ぜひこちらも気軽に読んでください! 好きな歴史人物: 曹操、蒲生氏郷

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