よかミカンの三国志入門
朝まで三国志悪




はじめての三国志

menu

三国志の雑学

趙雲は五丈原ではどんな役割だった?趙雲の北伐と最期

この記事の所要時間: 245




 

趙雲に関する記述は「三国志正史」ではわずか246字しかありません。

これを補ったのが裴松之の注釈であり、その基となったのが「趙雲別伝」になります。

今回は趙雲(ちょううん)の活躍とその最後についてお伝えしていきます。

 

はじめての三国志全記事一覧はこちら

関連記事:これは不公平!趙雲が五虎将軍でドンケツの理由とは?格差の現実を徹底分析!




三国志趙雲の戦歴

 

もともとは北の雄、公孫瓚の配下だった趙雲は、

劉備(りゅうび)曹操(そうそう)に敗れて袁紹を頼った際に家臣に加わっています。

その後は劉備に同行して劉表(りゅうひょう)を頼り、長坂坡の戦いでは単身で敵中に飛び込み、

劉備の妻である甘夫人とその子・阿斗を救出しました。

三国志の中でも伝説的なトピックスの一つです。

 

益州を平定して後は、漢中の戦いにおいて追撃してくる曹操に対し大きく門を開いて待ち構え、

警戒した曹操を退却させました。

劉備はこの大胆な戦法を聞き、「子龍は一身これ胆なり」と賞賛しています。




趙雲伝での趙雲の最期

 

趙雲は229年に死去しています。

正史では跡を継いで長子の趙統が昇進したという記述しかなく、

三国志演義でも趙統と弟の趙広が伝令として趙雲の病死を、

諸葛孔明ならびに劉禅に報告するシーンしか描かれていません。

趙雲の最後についての詳細は謎のままです。

 

演義では趙雲の亡骸は銀屏山に葬られ、

趙統が虎賁中郎将に任じられて趙雲の墓を守るように告げられています。

ちなみにその後、弟の趙広は姜維に従い魏の侵攻に立ち向かい戦死していますが、

演義にはその描写もありません。

 

関連記事:趙雲と姜維の一騎打ち!姜維の武勇は本当に凄かったの?

関連記事:【あの人の子孫は今】趙雲の子孫っているの?趙氏(ちょうし)について

 

趙雲は五丈原ではどんな役割をしたの?

 

諸葛孔明の最後の北伐となる五丈原の戦いは234年になりますので、

趙雲はすでに亡くなっています。

 

これより以前に趙雲は漢中より斜谷道(褒斜道)を通り、

魏の領地・長安の西の郿に向けて侵攻しました。

これが228年の第一次北伐です。

趙雲は囮となって魏の主力である曹真の軍を途中の箕谷でひきつけ、

その間に諸葛孔明は大きく迂回して祁山へ出ました。

 

 

そのまま侵攻し、背後から郿や長安を攻める手はずでしたが、

馬謖(ばしょく)が拠点である街亭を守り切れず計画は頓挫します。

泣いて馬謖を斬ることになるのです。

成果といえば姜維を味方に加えたことぐらいでしょう。

 

つまり趙雲は斜谷道の出口付近にある五丈原にたどり着いたことはないのです。

諸葛孔明の宿敵となる司馬懿とも戦うことはありませんでした。

第一次北伐の敗北の翌年に趙雲は亡くなっているからです。

 

諸葛亮が行った北伐、その時の趙雲の役割

 

蜀を代表する武将である趙雲は当然のように魏軍に徹底的にマークされます。

このときの魏の大将軍は曹真でした。

正史では曹真の戦略は称賛されており、

第一次北伐に対しては囮となった趙雲軍を撃退していますし、

第二次北伐では陳倉を攻めてくることを予想し備えています。

逆に演義での曹真は完全に司馬懿登場の引き立て役になってしまっています。

 

第一次北伐で囮役とはいえ曹真に敗北した趙雲は、

その責任をとって降格しています。

ただし兵をよく統率したために損失はわずかで、

軍需物資もしっかりと持ち帰ってきたことを諸葛孔明から評価されています。

 

演義では第一次北伐で、趙雲は姜維と一騎打ちをして引き分けていますが、

趙雲は涼州の天水ではなく、

はるか東の斜谷道(褒斜道)を北上していたのでこれは完全に演義のフィクションだといえるでしょう。

 

北伐の真実に迫る

 

はじめての三国志ライターろひもと理穂の考察

 

仮に趙雲が五丈原の戦いまで生きていたら、諸葛孔明の戦略も大きく違っていたことでしょう。

蜀の弱点はやはり人材不足だったからです。

その穴を諸葛孔明は自身で埋めようと懸命に働きましたが、

結果として無理がたたって過労死しています。

 

三国志の中でもトップクラスの人気を誇る趙雲についてもっと詳しく知りたい方は、

ぜひ「はじ三」で検索してみましょう。

さらに趙雲の魅力を堪能できますよ。

ぜひ他の趙雲の記事も読んでみてくださいね。

 

はじめての三国志:全記事一覧はこちら

関連記事:【子龍一身これ胆なり】趙雲はどのような活躍をして劉備に褒められることになったの?

関連記事:劉備と趙雲が出会う事になったきっかけを作ったのは袁紹のおかげ?

 

■古代中国の暮らしぶりがよくわかる■

 




 

ろひもと理穂

ろひもと理穂

投稿者の記事一覧

三国志は北方謙三先生の作品が一番好きです。

自分でも袁術主役で小説を執筆しています。ぜひこちらも気軽に読んでください!

好きな歴史人物:

曹操、蒲生氏郷

何か一言:

袁術は凄いひとだったかもしれませんよー!!

関連記事

  1. 馬超と許褚の一騎打ち|関中を巡る戦い
  2. 匡亭の戦いを図解で解説!袁術の華麗なる転落のプレリュード
  3. 顔良と文醜の裏話、顔良って実はいい奴?
  4. 廖化(りょうか)ってどんな人?蜀漢成立~滅亡まで戦い続けた蜀の将…
  5. 甘過ぎるおかん孔明!部下に厳しく出来ない事実が発覚!
  6. 連環の計って、どんな作戦?
  7. 魏延を倒した楊儀は孔明が亡くなった後どうなったの?
  8. 【意外と知らない?】孫子の兵法を読んだ偉人達!曹操やビルゲイツも…

google検索フォーム

過去記事を検索できます

ピックアップ記事

おすすめ記事

  1. 和宮とはどんな人結構頑固で家茂ラブな皇女
  2. 石奮(せきふん)とはどんな人?真面目で頑固者な性格が愛されて富貴を手にした万石君
  3. 官渡の戦いを終戦に導いた許攸(きょゆう)は偉大なの!?
  4. 馬場信春(ばばのぶはる)とはどんな人?鬼と呼ばれた武田四名臣の一人
  5. 大戦乱!!三国志バトル(株式会社gloops)にはじ三が突撃じゃ!
  6. まるで現在の政治批判、商鞅の改革論がヤバすぎる

三國志雑学

“広告募集"

はじめての三国志 書籍情報

朝まで三国志 三国志最強のワルは誰だ (桃園出版 三国舎)

著:kawauso 価格480円
※Kindle読み放題対応

ピックアップ記事

おすすめ記事

宗預(そうよ)とはどんな人?孫権が涙を流して別れを告げた蜀の外交官 朝まで三国志 三国志最強のワルは誰だ(笑) 第7部 高杉晋作の名言脳に刺さる言葉を紹介 献帝死亡説を利用した?劉備が漢中王に即位したのは孔明と法正の入れ知恵の可能性が浮上! 出雲の麒麟児・山中鹿之助の青年期に迫る はじめての三国志チャンネル 第1回目 – 自己紹介編 【001】 36話:6人の英傑を裏切り最後を迎えた呂布 老将・黄蓋(こうがい)は異民族討伐のプロだった

おすすめ記事

  1. 蔡琰(サイエン)とはどんな人?翻弄された運命をたどった詩人
  2. 【おんな城主・井伊直虎を見逃した方へ】第20話 「罪と罰」の見どころ紹介
  3. 5/2 はじめての三国志 Ustream番組「はじさんチャンネル」生配信決定
  4. 反信長包囲網に参加した諸将の動きを徹底紹介!
  5. 【シミルボン】拝啓 我が息子瞻へ・・諸葛亮息子への手紙
  6. 霍弋(かくよく)とはどんな人?蜀の滅亡まで司馬昭に屈しなかった隠れた名将
  7. え、そうだったの?蜀の五虎将軍、実は存在しなかった?五虎大将軍の真実!
  8. 竹林の七賢の存在意義!それは反・司馬懿(しばい)の政治結社だ!

はじさん企画

袁術祭り
李傕祭り
帝政ローマ
広告募集
まだ漢王朝で消耗してるの?
HMR
ライフハック
君主論

ビジネス三国志
春秋戦国時代
日常生活
曹操vs信長
架空戦記
ライセンシー
北伐
呂布vs項羽
編集長日記
はじめての三国志TV
“曹操孟徳" “黄巾賊" “赤壁の戦い" “THE一騎打ち" “夷陵の戦い" “kawausoのぼやき記事" “よかミカンのブラック三国志"
“水滸伝"
PAGE TOP