魏の名将として有名な張遼(ちょうりょう)。
三国志には正史と演義の二種類の書物があり、
正史三国志(せいしさんごくし)は歴史書として出版され、
三国志演義(さんごくしえんぎ)は娯楽物として制作されました。
魏の名将・張遼は正史と演義の両方に登場するのですが、
二つの書物でどのように評価されているのでしょうか。
今回は正史三国志と三国志演義において、張遼の評価がどのように違うのか
ご紹介しましょう。
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正史三国志の張遼はどれくらい活躍した?
張遼の活躍で外せないのが合肥(がっぴ)城の戦いは、
正史三国志と三国志演義両方で記されていますが、
両書物において違った表現がされています。
ほかにも正史三国志と三国志演義における張遼の活躍が違います。
どの程度の違いなのか。
ここでは合肥の戦い以外の張遼の活躍を正史三国志からご紹介しましょう。
正史三国志魏書の張遼は人より優れた武力を持った武将で、
丁原(ていげん)→董卓(とうたく)→呂布(りょふ)と主を変えます。
張遼は呂布が曹操に敗北すると捕虜として捕まってしまいますが、
曹操に許してもらい配下に加わることになります。
張遼は曹操の配下に加わると曹操に反旗を翻して
徐州(じょしゅう)で暴れていた昌豨(しょうき)を説得して降伏。
また張遼は官渡(かんと)の戦いの前哨戦として有名な白馬の戦いにおいて、
関羽と一緒に袁紹(えんしょう)軍先鋒の顔良(がんりょう)を蹴散らしています。
烏桓討伐戦、荊州平定戦などにも参加し、いずれの戦でも大活躍をしています。
張遼が活躍した正史三国志の合肥城の戦い
張遼と言えば合肥の戦いです。
正史三国志魏書・張遼伝では、孫権軍10万に対して、800人先頭に立って突撃。
張遼は敵兵を斬って、斬って、斬りまくって昼頃まで孫権軍と戦闘を行った後、
800人の兵士を一人も欠けることなく合肥城へ撤退していきます。
この時点で張遼の強さは魏の中で最強クラスなのですが、
ここからの張遼がまた凄まじい活躍をしています。
張遼は孫権軍の撤退を知ると合肥城に守備隊を少し残して追撃戦を開始。
張遼は孫権追撃戦で孫権を捕らえる寸前まで追い詰めますが、
あと少しのところで逃してしまったそうです。
張遼は曹丕(そうひ)が皇帝となった後、孫権討伐戦に参加することになります。
この時、張遼は病にかかっていましたが、孫権軍の将軍達の軍勢を撃破。
しかし張遼はこの時の戦いがたたってしまい病に体を蝕まれて、
亡くなってしまうのでした。
ちょっと長くなりましたが、正史三国志における張遼の活躍はこのようになっています。
正史三国志の張遼の評価
正史三国志でかなりの活躍をした張遼。
張遼は正史三国志でどのように評価されているのでしょうか。
正史三国志の張遼の評価は正史三国志の記載が紛失しているため、
無いそうなんです。
しかし陳寿(ちんじゅ)は正史三国志魏書において、
曹操が生きている頃に活躍した将軍達の中で張遼を一番最初に列記しており、
かなり高評価だったことが伺えます。
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正史三国志と三国志演義の張遼の違い
上記で正史三国志の張遼の活躍をご紹介しました。
ここでは張遼の活躍が正史三国志と三国志演義ではどのような違うのかご紹介しましょう。
三国志演義の張遼は呂布軍の武将として登場。
張遼は劉備の義弟・関羽(かんう)との出会いによって、
呂布軍にこのままいていいのか迷いを感じてしまったようです。
そして張遼は呂布が敗北し捕虜になると劉備と関羽が助命嘆願した事で、
一命を取り留め、曹操軍の武将として加わります。
その後張遼は曹操軍に降伏してきた関羽と一緒に袁紹軍の猛将達と戦います。
この時、張遼は関羽が顔良(がんりょう)・文醜(ぶんしゅう)の二人を討ち取り、
曹操軍から去っていく姿を曹操と一緒に見送ったそうです。
張遼は関羽との厚い友情で結ばれた武将として描かれ、
赤壁の戦いで敗北した際、曹操と一緒に逃亡。
張遼は華容道(かようどう)で待ち伏せしていた関羽と再開し、
信義を説いて曹操の命を助けてもらえるように嘆願。
関羽は張遼との友情を重んじて、曹操と一緒に見逃した様子が描かれています。
そして合肥城の戦いでは張遼が孫呉の軍勢の伏兵を見破って、
名将・太史慈(たいしじ)を討ち取っています。
三国志演義では張遼の義に厚い部分が強調して描かれているせいか、
あまり戦での活躍が描かれていないように思われます。
この点が正史と演義との違いと言えるのではないでしょうか。
三国志ライター黒田レンの独り言
今回は正史三国志と三国志演義における張遼の違いをご紹介しました。
細かいところが違っている箇所が多いですが、
共通している点もあります。
それはどの戦でもそれなりに活躍している所で、
合肥の戦いでは正史・演義両書とも張遼が活躍している部分が描かれています。
このことから張遼は名将である事は紛れもない事実言えるのではないのでしょうか。
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参考文献 ちくま学芸文庫 正史三国志魏書・今鷹真訳など
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