【官渡の戦い前哨戦】文醜はどうして敗北することになったの?

2017年2月27日


 

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袁紹軍の二枚看板と謳われるほどの強さを誇った顔良(がんりょう)文醜(ぶんしゅう)

しかし彼らは曹操との決戦である官渡の戦いが行われる前に曹操軍に敗北して、

討ち死にしてしまいます。

顔良が敗北したのは白馬(はくば)攻防戦の時に曹操軍に身を寄せていた関羽との一騎打ちで、

敗北してしまいます。

これは三国志演義などで知られており有名ですが、

袁紹の二枚看板のうちのひとりである文醜はどうして敗北してしまったのでしょうか。

今回は文醜が敗北した戦いをご紹介していきたいと思います。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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顔良死す・・・・そして

 

曹操は袁紹軍の先陣である顔良郭図(かくと)らの軍勢が白馬へ向けて出陣したことを知ると

急いで大軍を率いて南下してくると関羽張遼(ちょうりょう)らを引き連れて出陣。

彼はものすごいスピードで白馬を通り越して、

袁紹軍きっての勇将で二枚看板と言われる顔良軍へ関羽・張遼を先陣にして猛攻をかけます。

顔良は突然曹操軍の攻撃を受けて混乱。

顔良軍が混乱しているところを関羽が顔良へ一騎打ちを仕掛けて討ち取ることに成功し、

白馬城を攻撃していた袁紹軍の先陣を退けます。

袁紹は顔良が討ち取られ曹操軍が退却している事を知ると

袁紹軍の騎兵隊長で顔良と比肩する猛将である文醜と客将であった劉備に追撃を命じます。

 



荀攸の作戦

 

曹操の参謀として付き従っていた荀攸(じゅんゆう)は曹操が、

白馬を捨てて南阪(なんはん)に築いていた砦へ帰ってくると作戦を進言。

荀攸は「殿を追撃してくる軍勢は文醜ですが彼らを討ち取る方法として良案がございます。

現在輜重隊がこの南阪めがけてやってきているのですが、

文醜軍と鉢合わせる事になるのでしょう。

その時文醜はこの輜重隊に目がくらみ襲うはずです。

そこで文醜軍が輜重隊を襲っている時に全軍で文醜の軍勢を攻撃すれば、

文醜を討ち取ることができるでしょう。」と進言。

曹操はすぐに荀攸の進言を採用してすぐに出陣する準備を整えます。

 

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荀攸の作戦があたり、文醜も討ち取られる

 

文醜は騎兵を率いて曹操軍がこもっている南阪の砦へ向かって劉備軍を突き放して、

先行している状態でした。

文醜は斥候(せっこう)を放ちながら進んでおりましたが斥候が文醜へ

「将軍。敵の輜重隊が南阪の砦へ向かって進んでおります。」と報告。

文醜はすぐに輜重隊を襲う決断をし、輜重隊へ向けて攻撃を始めるように命令します。

彼は輜重隊を発見すると攻撃を行いますが、いきなり曹操軍の騎兵隊が文醜軍を攻撃。

バラバラになって輜重隊を攻撃していた文醜軍はまとまることができずに大混乱をきたし、

勝手に曹操軍と交戦している状態で、命令が上手く伝わりませんでした。

曹操は文醜を守っている兵が非常に少ないことを確認すると、

文醜に攻撃を集中させて彼を討ち取ります。

曹操は文醜を討ち取るとすぐに軍勢を率いて南阪を通り過ぎて、

決戦予定地である官渡(かんと)城へ退却していきます。

こうして袁紹軍の二枚看板と呼ばれる勇将は初戦で散ってしまうことになります。

 

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三国志ライター黒田レンの独り言

 

袁紹軍の二枚看板と呼ばれた顔良と文醜が討ち死にすると兵士達は大いに曹操軍を恐れ、

士気が下がってしまいます。

しかし袁紹は二将軍を失っても土地を取ることに成功したので、

あまり気にすることはありませんでした。

もし二将軍が初戦で討ち取られなければ、袁紹軍の攻撃力は非常に高いものであり、

兵の士気もかなり高かったでしょう。

このベストコンディションで曹操が篭城していた官渡城へ猛攻をかけられていたとすれば、

陥落していた可能性があったかもしれません。

また関羽はこの顔良を討ち取った時点で曹操軍から離脱して、

劉備の元へ向かっています。

 

参考文献 ちくま学芸文庫 三国志魏書1 今鷹真・井波律子訳など

 

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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