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姜維も食べた剣門豆腐の由来と中華豆腐レシピを紹介

2018年4月8日


 

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よかミカン

 

暖かい季節になると、つるりとした食感の冷たいお豆腐が美味しいですよね。そこで本日は、中華の冷たいお豆腐料理「小葱豆腐(シャオツォンドウフ)」の超簡単レシピをご紹介したいのですが、それだけだと「はじめての三国志」らしくないので、ついでに(しょく)の武将・姜維(きょうい)剣門豆腐(けんもんどうふ)のゆかりのお話もさせていただきます。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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超簡単!小葱豆腐の作り方

小葱豆腐の作り方

 

材料:絹ごし豆腐、青ネギ、ごま油、塩、絹ごし豆腐の上に、ごま油をとろーりとかけ、塩をぱらぱらっと振り、輪切りにした青ネギをこれでもかというほど盛れば完成です。

 

小葱豆腐

 

ごま油や塩の量は適当で大丈夫です。かけすぎても豆腐の下に流れ落ちるだけですから味に影響はありません。塩味が足りない時は塩を足し、塩味が濃すぎる時はごま油をかければOKです。こんな簡単な作り方ですが、ちゃあんと本場中国のお味に仕上がります。冷蔵庫にお豆腐が余っている時にでも、ぜひお試し下さい。ネギがない時はごま油と塩だけでもおいしいです!(小葱豆腐にはならないですが)

 

 

四川省剣閣県の名物食材「剣門豆腐」

諸葛亮

 

さて、「剣門豆腐」ですが、正式な名称は「剣門関豆腐(けんもんかんどうふ)」といいます。中国の国家地理標志保護産品(こっかちりひょうしほごしょうひん)となっている、剣閣県(けんかくけん)の特産食材です。剣閣県は、蜀の要衝であった「剣門関」がある場所です。

 

蜀の平地部をざっくりと、北の漢中盆地と南の四川盆地に分けますと(他にも重要な地域がありますが)、ひょうたんのようなかっこうをしております。ひょうたんの上のほうの丸が漢中盆地、下のほうの丸が四川盆地というイメージです。(上のほうが相対的に小さすぎますが)剣門関はこのひょうたんのくびれの部分にあたり、周囲に山が迫っていて、この関所を通らないと北から四川盆地には入れないよ、という感じの要害です。三国志では、蜀の末期に姜維が魏の鍾会(しょうかい)の侵攻を食い止めた場所として有名です。

 

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諸葛亮

 

剣門豆腐とは

剣門豆腐とは

 

剣門豆腐という名前を初めて耳にした時、私は天津飯(てんしんはん)とか福建炒飯(ふっけんちゃーはん)のような料理名かと勘違いしていたのですが、そうではなく、剣門山区の大豆と水で作るお豆腐のブランド名でした。剣門山区の礫岩油沙石土(れきがんゆさせきど)とやらで育った大豆と、剣門七十一峰にある「剣泉」の水で作る豆腐だそうです。色は雪のように真っ白で、味は鮮美、細やかでみずみずしく、しなやかで強靱(きょうじん)、型崩れしにくいため、細く切ったり煮込んだりと多様な調理法に耐えるそうです。このため、剣閣では豆腐食がさかんで、二百種類以上もの豆腐料理があるそうです。剣閣の名物グルメとして「剣門豆腐宴(けんもんとうふえん)」というものがありますが、これは多様な豆腐料理が出てくるお豆腐づくしコースのようなものです。

 

 

剣門豆腐の由来

姜維

 

剣閣県人民政府のホームページで紹介されている剣門豆腐の由来を和訳してみました↓

 

言い伝えによると、剣門豆腐は三国時代に作られ始めました。

蜀漢の大将軍姜維は、漢中で魏の将軍の鍾会・鄧艾(とうがい)に敗れた後、

要害の剣門関まで退却しました。

姜維の軍勢は疲弊して戦うことができず、馬も疲れて人を乗せることができず、

蜀の北の障壁である剣門は危殆(きたい)(ひん)していました。

そこで、剣門の地方官が姜維にこう提案しました。

「関所を閉ざして三日のあいだ戦いをせず、住民たちに各家で豆乳を絞らせましょう。

豆腐を兵士に与え、おからを軍馬に食べさせ、兵士と馬の体力が回復してから戦うのです」

この方法が功を奏し、兵士と馬の体力はすぐに回復しました。

三日後、姜維はたった五千の軍勢を率いて関所を攻め下り、大いに鍾会を破り、

魏軍の陣地を数十里後退させ、剣門の危機を解消しました。

 

 

剣閣のお豆腐屋さんは、毎朝「これが姜維の軍兵を力づけた豆腐だ」って思いながらお豆腐を作っているのかもしれませんね。

 

姜維特集

 

 

三国志ライター よかミカンの独り言

よかミカン

 

剣門豆腐を作るのに使う大豆は「黄豆(ファンドウ)」と呼ばれています。かつて玄宗皇帝(げんそうこうてい)寵愛(ちょうあい)していた楊貴妃(ようきひ)を失って食事も喉を通らなかった時に、剣閣の人たちが豆腐をおすすめしたところ、皇帝は召し上がってたいそうお気に召し、「これからはこの材料の大豆を皇豆(ファンドウ)と呼ぶがよい」とおおせになり、土地の人たちは「皇」の文字を使うことはおそれおおいとして代わりに発音が同じ「黄」の字を当てるようになったそうです。

 

 

 

その「黄豆」の呼び方が今でも使われているところから、剣閣の人たちが自分たちの大豆と豆腐を誇りに思っている様子が察せられます。ちょっといい話だなと思いました。以上、小葱豆腐と剣門豆腐のご紹介でした!

 

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まだ漢王朝で消耗してるの?

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よかミカン

よかミカン

三国志好きが高じて会社を辞めて中国に留学したことのある夢見がちな成人です。 個人のサイトで三国志のおバカ小説を書いております。 三国志小説『ショッケンひにほゆ』 【劉備も関羽も張飛も出てこない! 三国志 蜀の北伐最前線おバカ日記】 何か一言: 皆様にたくさん三国志を読んで頂きたいという思いから わざとうさんくさい記事ばかりを書いています。 妄想は妄想、偏見は偏見、とはっきり分かるように書くことが私の良心です。 読んで下さった方が こんなわけないだろうと思ってつい三国志を読み返してしまうような記事を書きたいです!

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