劉備の死後、諸葛孔明は、劉備の遺言を奉じて17歳の劉禅を皇帝にして、自身は丞相として政治の一切を取り仕切りました。魏の曹叡はプロパガンダも込みで、孔明が蜀を乗っ取ったとdis文書を出しましたが何と同盟国である呉からも、蜀は孔明の国と匂わせる盟約文が出ていたのです。これじゃあ、劉禅も真面目に政務を執ろうとは思えない衝撃の文書を紹介します。
曹魏を敵として領地の分捕りを確約する盟約書
西暦229年の春、孫権は皇帝の位に上り、ここに三国鼎立はなります。蜀は孫権の即位を認めたので、対等な立場になった両国では逆臣である曹叡を打倒して天下を安定させようと、魏を滅ぼした後の領地の分け前を前もって決める事にします。それによると、豫州、徐州、青州、幽州が呉に属し、兗州、冀州、并州、涼州は蜀に与えるという話になっています。ひとまず天下統一を諦めて、逆賊の魏を共同で倒した後に、領地を仲良く分割、平和裏に共存しようという目論見です。
しかし、呉は兎も角、蜀の正統性を考えると色々突っ込みどころがあり過ぎる内容なんですが、それは、まあ、いいとしましょう。
劉禅をガン無視、孔明に期待をかける孫権
ですが、孫権が作成した盟約文は酷い内容でした。何が酷いって、蜀帝の劉禅の存在はガン無視で孔明しか見ていないのです。少々長いのですが、全文を見てみましょう。
董卓の洛陽制圧から曹操に至った禍のオンパレードは天下をグシャグシャにした。
曹丕に至っては皇帝の位を漢から盗んで即位し、今も曹叡が健在だ。
一体、太古に高辛氏が共工を討ち、虞舜が三苗を征伐したように、
曹叡を滅ぼすのは漢(蜀)と呉に他ならないだろう。
悪逆を討つには、まずその罪を明らかにして分裂を誘いその土地を奪って
士民に帰すべき場所を示すものだ。
その為に古来から盟約というものが活用された。
呉と蜀は長年の信頼関係にあるので、要らないっちゃーいらないのだが、
あとで境界線を巡り、ゴタゴタしても困るから、
土地の分捕りを盟約するのが妥当であると考える。
諸葛丞相は、陰陽に影響を与え天地をも動かしているので相手として不足はない。
壇を建てて獣を殺し、天に誓ってから血を啜って誓約書を加え副本を宗廟に置こう。
以後、両国は魏を倒す為に一心同体となり、漢の敵は呉が、呉の敵は漢が討つだろう。
天神以下、諸々の神々も臨席しているので、嘘ついたら天罰があるぞアーメン
以上で、孫権は諸葛亮を持ち上げつつも、劉禅の劉の字も出てきません。これでは、劉備の偉業を継いだのは孔明だと言わんばかりです。
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別に揉めなかったという事は孔明も追認したのか?
こちらは、盟約書ですから、蜀のサイドにも送らないと意味がありません。つまり、孔明はこの無礼な盟約文をちゃんと見ている筈です。ところが、「蜀帝を蔑ろにしたような盟約は受けられない!」と孔明が抗議したそんな記録はどこにもないのです。
天地神明に誓うべきは、一方が孫権なら一方は劉禅の筈ですが、何故か一方は諸葛亮になっている・・これは、天の神々は諸葛亮を契約の一方と見ている蜀の支配者は、孔明であると言っているも同然じゃないでしょうか?
三国志ライターkawausoの独り言
今でこそ忠臣扱いの孔明ですが、案外、リアルタイムでは、前漢の霍光のような目線で見られていたのではないか?孫権の盟約書の内容を見ると、そんな感じがしてなりません。外の世界からそう見られているということは、そんな雰囲気があった筈で蜀の群臣も、いや劉禅自体も「真の支配者は諸葛亮」という暗黙の了解の中とりあえず丸投げの方向でと孔明に頼り切ったのかも知れません。
天地神明の誓いの元、奮戦した孔明は、もし曹魏の討伐が成功していたら蜀呉盟約書を持ち出して、劉禅に禅譲を迫り自身が皇帝になるつもりだったのか?今となっては分かりませんね。