姜維の兵法二十四編って孔明から貰った大事な宝物だった?

2018年5月27日


 

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姜維と孔明

 

諸葛孔明(しょかつこうめい)姜維(きょうい)を高い評価を下しており、色々な事を叩き込みます。

そのおかげか姜維は孔明死後めきめきと力を伸ばしていき、

蜀の終末期には大将軍として軍事のトップに立つことになります。

そんな姜維は孔明から大切な物をもらっていたのをご存知でしょうか。

今回は孔明から譲られて大切な宝物についてご紹介したいと思います。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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諸葛孔明が贈った兵法書とは

過労死した孔明

 

孔明は魏との最後の戦いを行うべく軍勢を率いて五丈原(ごじょうげん)へ向かいます。

姜維も孔明の北伐戦に参加しています。

孔明は蜀軍の欠点である兵糧をしっかりと確保しておくため、

五丈原で屯田を行い、長期戦になっても兵糧不足にならないようにします。

 

こうして孔明率いる蜀軍は魏軍と戦うことになりますが、孔明の体が病に(むしば)まれてしまうのでした。

孔明は自分の死期を感じ、亡くなる前に姜維にあるものを渡します。

それは孔明が長い時間かけて編集した兵法書です。

この兵法書の名前を兵法書二十四編と言います。

孔明は姜維にこの兵法書を渡して数日後に亡くなるのでした。

 

孔明からもらった兵法書を活かして魏軍を打ち破る

鄧艾と孔明

 

姜維は孔明からもらった兵法書を読んでしっかりと学んでいきます。

そして姜維はこの孔明の兵法書に載っていた連弩(れんど)の法を修め、

魏軍との戦いでこの連弩の法を使用して魏軍を撃破するのです。

しっかりと孔明の教えを身につけた姜維は

その後も孔明の兵法書でいろいろなことを身につけていくのでした。

 

まだ漢王朝で消耗してるの?

まだ漢王朝で消耗しているの  

 

姜維は蜀滅亡後、剣閣に兵法二十四編を隠す!!

書籍のイラスト

 

姜維はその後魏軍が大軍を率いて蜀へ攻撃を仕掛けてきた時、

剣閣(けんかく)に篭城して徹底抗戦の構えを見せます。

魏軍は姜維率いる蜀軍の軍勢がこもる剣閣へ総攻撃をかけますが、

中々占領することができませんでした。

 

その後魏軍は鄧艾(とうがい)率いる別動隊が蜀の中心部へ攻撃を仕掛けた事がきっかけとなり、

蜀の皇帝劉禅(りゅうぜん)が降伏してきます。

姜維は劉禅が降伏した為、魏軍に降伏することになります。

鄧艾と姜維

 

民間伝承によれば姜維は魏へ降伏した後、

孔明からもらった大切な宝物・兵法二十四編を剣閣に隠して置くのでした。

なぜ姜維は剣閣に兵法二十四編を剣閣に隠したのか。

それは姜維は蜀を再興した後、ここへ孔明からもらった宝物を取りに行くつもりだったからです。

 

そのため姜維はとりあえず孔明からもらった宝物を取り敢えず、

剣閣に隠しておき、蜀を再興してから再び取りに来るつもりでした。

しかしはじめての三国志の読者は知っていると思いますが、

姜維は蜀が魏に降伏した後、鍾会(しょうかい)の計画に加担して蜀再興を果たそうとしますが、

作戦は失敗し、鍾会と一緒に殺害されてしまうのでした。

反乱に失敗した鐘会と姜維

 

姜維が殺害されてしまったため、彼が孔明から貰った大切な宝物

兵法二十四編はそのまま行方知れずになってしまうのでした。

もし姜維が蜀の再興に成功していれば、諸葛孔明が編纂した

兵法二十四編も現代にまで残されていたかもしれません。

このように考えると姜維の秘策が失敗した事が悔やまれてなりません。

   

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レンの独り言

 

今回は姜維が孔明から譲られた兵法二十四編をご紹介しましたが、

一つ残念なお知らせをしなくてはなりません。

それは一体何か。

 

それは兵法二十四編が三国志演義(さんごくしえんぎ)にしか登場しない架空の本だったのです。

正史三国志では孔明が編纂した兵法書の存在すらありませんでしたが、

孔明から高い評価を受けていた姜維ですから、

もしかしたら兵法の書物ではなく、内政に関する書物や

法律に関する書物などをもらっていたかもしれませんね。

火のないところに煙は立ちませんから、民間伝承に残っている孔明の本の逸話は

もしかしたら上記の書物のことかもしれませんよ。

 

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