諸葛孔明も学んだ三国志の天文学とはどんなモノ?


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三国志演義(さんごくしえんぎ)をドラマチックにしているものと言えば、

天体の運行と人間の宿命をリンクしているシーンではないでしょうか?

諸葛孔明(しょかつこうめい)は、夜空を見上げ天文を読むことで戦争の吉凶から

自分の寿命まで、ありありとわかってしまう男

あんな能力があったら、怖くて星空を見れないような気がしますが・・

 

しかし、それらは三国志演義の創作ばかりではなく

実は三国志の時代には、十二支以前からの十二次というものがあり、

それにより半ばこじつけ気味に人間の運命などを決めていたようです。

 

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12年で天の赤道を周回する木星に目をつけた・・

木星

 

十二次の歴史は古く、春秋左氏伝にはすでに記述が出ているようです。

天球を天の赤道にそって十二に等分して、それぞれ

星紀(せいき)玄枵(げんきょう)娵訾(しゅし)降婁(こうろう)大梁(たいりょう)実沈(じつちん)鶉首(じゅんしゅ)鶉火(じゅんか)鶉尾(じゅんび)

寿星(じゅせい)大火(たいか)析木(せきぼく)に分けています。

 

そして、この赤道十二次を太歳(たいさい)という架空の惑星が西から東へ一年毎に

移動していく様子から吉凶を占うのが十二次の特徴でした。


太歳とは木星を意図した架空の惑星

架空の惑星

 

太歳とは木星をイメージした架空の星の事です。

この木星は1年ごとに次を移動するので歳星(さいせい)とよばれました。

そして、およそ12年で天の赤道を一周する為に古代中国人は、

木星の運行に神秘を感じて太歳という架空の惑星を産み出しました。

 

え?ちょっと待って、木星に神秘を感じたなら

木星をそのまま太歳にすればいいんじゃない?

どうして架空の太歳を産み出す必要があるの?

 

それは、木星の運行が当時の十二(しん)干支(えと))の進み方、

東から西へ(時計回り)とは逆の西から東だったからです。

そこで、古代人は木星の円軌道上に一本の直径を引き、

直径を境に木星と線対称の位置に存在する 「太歳」という仮想の星を設定し、

十二辰の位置で年を記すようになりました。

 

なんとしても、十二辰に合わせる為に木星とは真逆に動く

太歳を設定してしまったんですね、ロマンです。

 

古代中国・超科学の世界に挑戦する HMR

HMR  

十二次は土地の運命も表していた

地図

 

十二次に登場する星紀、玄枵、娵訾、降婁、大梁、実沈、鶉首、鶉火、

鶉尾、寿星、大火、析木は、地上の国と州にも符合していました。

地上の吉凶を天の区分に当てはめて、そこから運命を予測しようという

なかなかオカルトチックな事を考えていたのですね。

 

それによると、十二次は、以下の土地と呼応していたそうです。

 

星紀 ➡ 国名:呉越(ごえつ)(揚州)

玄枵 ➡国名:(せい)(青州)

娵訾 ➡国名: (えい)(へい)州)

降婁 ➡国名:()(徐州)

大梁 ➡国名:(ちょう)()州)

実沈 ➡国名:()(益州)

鶉首 ➡国名:(しん)(よう)州)

鶉火 ➡国名:(しゅう)(三河河東・河内・河南)

鶉尾 ➡国名:()(荊州)

寿星 ➡ 国名:(てい)(兗州)

大火 ➡国名:(そう)()州)

析木 ➡国名: (えん)(幽州)

 

 

魏建国の正統性に利用された十二次

曹丕

 

こちらの十二次は正史三国志の魏志、文帝記において、

曹丕(そうひ)の即位を正当化する為に用いられました。

それが以下の文章になります。

 

昔、光和七(184)年、歳星が大梁に位置したときが

魏武帝(曹操(そうそう))の天命を受けられた最初であります。

武帝は、そのときに将軍として黄巾を討伐され中平元年となりました。

次に建安元(196)年、歳星はまた大梁に位置し、

武帝は初めて大将軍を拝命されました。

建安十三(208)年、またも歳星は大梁に位置しており、

武帝は、この年に初めて丞相を拝命されました。

建安二十五(220)年、歳星はまたも大梁に位置し、

陛下(曹丕)には天命を受けられたので御座います。

 

 

このように魏では、義星とされた歳星を曹操の星として、

それが大梁(後漢では大梁が魏の土地とされた)に移動する度に

曹操が手柄を立てている事から、これは魏が天体の運行に従っていて吉であり

その為に曹丕が文帝として即位するのは天命であるとしています。

 

もっとも、これはご都合主義とも言えて、208年に曹操は赤壁(せきへき)で大敗し

中華統一を諦めて国内整備を優先する為に三公を廃して丞相になったので

ものは言いようではあるわけです。

 

周羣の占い

 

また、劉備(りゅうび)に仕えた益州の周羣(しゅうぐん)は、西暦212年の10月頃、

彗星が天空の五諸侯(ごしょこう)の宿星に出たので西方の群雄が全て土地を失うと予言しました。

この予言は的中し、漢中の張魯(ちょうろ)や涼州の宋建(そうけん)馬超(ばちょう)等の小群雄が曹操によって、

軒並み討伐されて土地を失っています。

周羣の言う五諸侯とは、南方朱雀二十八宿の井宿に属している20の星官の一つです。

(主体となる星座としての井は、ふたご座μ(ミュー)ν(ニュー)γ(ガンマ)ξ(ゼータ)ε(イプシロン)

36番、ζ(ゼータ)λ(ラムダ)の8つの星によって構成されています。

位置としては南方ですが、諸葛亮の魏征伐は北伐というように、

漢中や涼州も含めて南という認識だったのかも知れません。

 

彗星の出現は当時凶事でしたから、それと五諸侯の星+南方という組み合わせで

漢中や涼州で凶事があるというのは、すごく中二病チックです。


諸葛亮にも十二次の知識があった?

コペルニクス的な孔明

 

曹丕と同時代に生きた諸葛孔明も、この十二次を知っていた事でしょう。

春秋左氏伝ばかりでなく、正当な歴史書とされた班固(はんこ)の漢書にも、

十二次の事は記述されているからです。

 

三国志演義と違い、正史の三国志には天文を読む孔明の描写はありませんが、

天文と占星術が未分化だった昔、天体についての知識を孔明が保有して

政治や軍事の判断に役立てた事はあったと思います。


  

 

三国志ライターkawausoの独り言

三国志ライターkawausoの独り言

 

十二次は、地上の様相を天空に映して考え木星と架空惑星太歳の運行を元に

物事の吉凶を占うという、なかなか神秘的な考え方です。

天体の運行から物事の吉凶を占う孔明像は、三国志演義の産物ですが、

なかなかどうして、三国志の時代の人々も、神秘的な歳星紀年法で

見えない未来を予測しようとしたのです。

 

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