魏延と黄忠は中途採用組で出世を果たした勝ち組だった!?

2018年8月24日


 

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劉備

 

劉備(りゅうび)が荊州南部を領有した時に加入した魏延(ぎえん)黄忠(こうちゅう)。彼らは孔明(こうめい)龐統(ほうとう)馬良(ばりょう)らと同じように荊州南部を統治している時に中途採用で劉備軍へ加入することになります。彼ら荊州中途採用組の中で一番の出世を果たしたのは、なんと言っても劉備の信頼を勝ち取った諸葛孔明(しょかつこうめい)と言えるでしょう。

 

劉備軍で出世する魏延と黄忠

 

そして二番目の出世頭は魏延と黄忠だったのを皆さんご存知でしたでしょうか。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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荊州南部で劉備軍に加入した魏延と黄忠

荊州南部で劉備軍に加入した魏延と黄忠

 

黄忠は劉備が荊州の南部を領有した時に劉備軍へ士官。その後劉備は黄忠らを伴って蜀討伐へ向かいますが、魏延は劉備軍が蜀討伐を行うときに加入することになり、黄忠の方が魏延より少し先輩でした。こうして二人は劉備軍へ加入することになります。

 

 

蜀討伐戦で活躍した黄忠

魏延と一騎打ちをする文聘

 

黄忠は蜀を征服する戦で大いに武功を挙げていきます。正史三国志蜀書によれば黄忠は劉備軍の中でも真っ先に敵陣へ攻撃を仕掛けて敵陣を攻略。劉備が蜀討伐に率いた軍勢の中で一番勇猛だったそうです。こうして黄忠は自らの武功を挙げて実績を積みます。そして劉備は蜀を占領後、黄忠に討虜将軍(とうりょしょうぐん)の称号を与えて彼の功績に報いるのでした。さて黄忠より後に入った魏延はどのくらい武功を重ねたのでしょうか。

 

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一騎打ち

 

 

一部隊の隊長として蜀討伐戦に参加

蜀討伐戦に参加した魏延

 

魏延は劉備軍へ士官すると一部隊の隊長として軍勢を率いて参加。魏延は黄忠のように華々しい戦果を挙げることはできませんでしたが、蜀討伐戦で度々武功を挙げていったそうです。魏延は蜀攻略戦が完了後、劉備から牙門将軍(がもんしょうぐん)の位を褒美として貰うことになります。こうして二人は将軍の位を貰うことになり、劉備軍の荊州中途採用組の中でもいち早く頭角表すことになります。

 

魏延特集

 

 

 

漢中平定戦で大活躍

漢中平定戦で大活躍した魏延

 

黄忠はその後曹操(そうそう)軍が支配している漢中攻略戦に参加。定軍山を守っている夏侯淵(かこうえん)は劉備軍と激闘を繰り広げることに。そんな中黄忠は軍勢を率いて定軍山を守っている夏侯淵へ突撃を決行。

 

戦場で尊敬される黄忠

 

黄忠は夏侯淵の強力な軍勢をものともせず、兵士達を励ましてじゃんじゃん太鼓や鐘を連打して兵士達の士気を上げていき、ついに夏侯淵を打ち取ることに成功します。

 

漢中王になる劉備

 

こうして漢中を平定した劉備は後やって来た曹操軍を退かせて漢中王の位に就任。劉備はこの時黄忠を関羽や張飛、馬超らと同列に扱う最大の褒美を黄忠へ与え、彼を侯の位へと就任させます。

 

五虎大将軍b 関羽、張飛、馬超、趙雲、黄忠

 

更に三国志演義では黄忠は五虎将軍のメンバーに仲間入りし、劉備軍の神5に選ばえることになるのです。荊州中途採用組の中で大出世を果たした人物と言えるのでしょう。こうして黄忠は大出世を果たしましたが、魏延はどうしたのでしょう。

 

関羽

 

 

張飛を飛び越えた魏延

皇帝になれた劉備

 

劉備は漢中を平定し漢中王へ就任します。その後劉備は益州全般の政治を行う中心地として成都へ移ることにしかし一つ重要な案件がありました。それは益州の防御の要である漢川近辺の防御を誰に任せるかです。劉備の家臣達は全員が張飛を漢川近辺の防御を任せるのだろうと思っていました。

 

張飛

 

 

張飛自身もそのように考えていましたが、劉備が出した答えは家臣や張飛達を裏切り、魏延に漢川近辺の防御を任せることにしたのです。

 

弓の名人・黄忠

 

このことには張飛や劉備の家臣達がびっくりしますが、魏延が「私は曹操の軍勢がやってきたら必ず守り通す所存で任務を果たします」と答えた事で劉備や張飛、劉備の家臣達が納得し、魏延が漢川地方の守備を任されることになります。その後魏延は着々と武功を重ね、劉備が皇帝になった時には鎮北将軍へ。そして劉禅が劉備の跡を継いだ時には侯の位に就任します。

 

行軍する兵士達b(モブ)

 

更に魏延は魏の領土へ攻撃を仕掛けた際、迎撃に出てきた魏の将軍郭淮らを打ち破った事で大将軍の位へと昇進することになるのです。黄忠と同じように荊州中途採用の中で魏延も出世頭の一人と言えるのではないのでしょうか。

 

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レンの独り言

 

荊州中途採用組の中で孔明、魏延、黄忠の三人が一番出世したと言えるのと思います。孔明は魏延が色々な理由で大嫌いでしたが、もしかしたら魏延の出世ぶりが気に食わないことも魏延を嫌いな理由の一つかもしれませんね。

 

参考 ちくま学芸文庫 正史三国志蜀書等

 

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魏のマイナー武将列伝

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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