忠義一徹でいつでも劉備のピンチを救ってくれる頼れる趙雲と、それに全幅の信頼を置き、自分の子供の安否よりも趙雲のほうを気づかう劉備。三国志演義の中では、劉備と趙雲はこんな理想的な主従として描かれています。三国志演義より昔に書かれた「三国志平話」の中では若干様子が異なっておりまして、趙雲がいちずなのは変わりませんが、劉備は趙雲を顧みない自己中な人になってしまっています。
この記事の目次
【三国志演義】劉備と趙雲の出会い
三国志演義では、劉備と趙雲が初めて出会ったのは公孫瓚の陣営においてでした。劉備が公孫瓚の援軍として駆けつけた時、公孫瓚の配下であった趙雲と出会います。このとき二人は互いに惹かれ合うものを感じましたが、劉備は趙雲を引き抜くことはせず、今は公孫瓚に真心込めてお仕えしたほうがいい、また会う日まで、と涙ながらに別れました。
のちに公孫瓚が亡くなり、趙雲が浪人になっていた時に劉備と再会し、趙雲はめでたく劉備に仕えることになりました。以降、劉備の病める時も健やかな時も趙雲は忠義一徹、劉備は趙雲に全幅の信頼をおき、理想的な主従関係が終生続きました。
【三国志平話】袁譚の客同士として出会った二人
三国志平話での二人の出会いは、劉備が戦いに敗れ弟分や家族と離ればなれになってしまい、独りで袁譚のところに身を寄せた時です。劉備が再起を図るために五万の兵を貸して欲しいと袁譚にお願いすると、袁譚は口先だけで承諾しながらいっこうに兵を貸す気配がなく、空しく日々が過ぎていきます。
ある夜、劉備が宿泊所で独り酒を飲んで憂いを詩にこめて口ずさんでいると、その詩に応じるように詩を詠じ始める声が聞こえました。その声の主が趙雲。詩の内容は、あなたと私が組めば志を遂げることができますよというもの。そこで二人はあいさつを交わし、趙雲は劉備に「袁譚は優柔不断です。袁紹のところへ行ったほうがいいでしょう」と提案、二人連れだって袁紹のところに身を寄せました。
袁紹のところでまずいことになる
袁紹軍の客将になった二人。このとき、劉備と生き別れになっていた弟分の関羽は敵の曹操軍に属していました。劉備も関羽も互いに相手が敵方にいることを知らなかったので、関羽は袁紹軍との交戦の時に袁紹軍の看板武将である顔良と文醜を思いっきりぶった斬ってしまいました。
看板武将を斬られて怒り心頭の袁紹。しかも、斬ったのが劉備の弟分であるということで、“さては貴様敵のスパイか”と劉備に対する怒りを爆発させ、劉備を処刑しようとします。ここで趙雲が仲裁に入りました。
「関公は劉備がここにいることを知らないのです。私が劉備とともに曹操軍の前に行ってみましょう。もし関公が劉備を見れば必ず投降してくるはずです。私の家族百人の身柄をかけて保証いたします」家族百人の身柄をかけちゃいました。ちなみに、せりふの中で劉備は呼び捨てなのに関羽だけ関公と呼ばれているのは、三国志平話ができた頃には関羽が神格化されていたからでしょう。
一人でトンズラしようとする劉備
趙雲のおかげで首がつながった劉備。さきほど趙雲が袁紹に提案した通り、二人で連れ立って曹操軍の前に顔をさらしにでかけます。道中、劉備はつらつら考えました。
弟は爵位を受け、漢の徳政に帰順してしまったので、もう兄弟の心はないだろう。
今となっては行くあてもない。
荊州の劉表は荊州王となっているから、あそこなら身を落ち着ける場所があるだろう。
そして趙雲を顧みず、馬に鞭をあてて荊州のある西南方向に向けてスタコラサッサと駆け出しました。ひどい!!
弟を信じず恩人を裏切る
三国志平話のこの劉備はひどすぎますね。関羽の義心を信じず、敵方で厚遇されている関羽は兄弟の義理なんて忘れてしまっただろうと勝手に見限って逃走する。ご自分の義心レベルを基準にして関羽を量っているからそういう判断になるのでしょうか。そして、家族百人の身柄をかけてまで自分を弁護してくれた趙雲をあっさり裏切っております。ここで逃げたら趙雲の家族が無事では済まないのに。俺さえ助かればいいんじゃという判断でしょうか。恩を仇で返すとはこのことです。
ちなみに、劉表が荊州の「王」になっているとか、関羽が朝廷に帰順してしまったから義兄弟は解消だとかいう発想は、全く三国時代っぽくないですね。
おそらく三国志平話は水滸伝のような世界観で、軍閥のことを朝廷から自由な立場にいる義兄弟のアウトロー集団としてとらえているのでしょう。その世界観では、王朝に帰順するというのは100%仲間を裏切ったというサインなのかもしれません。先ほど劉備が関羽の義心を信じないということを批難がましく書きましたが、朝廷に帰順=仲間への裏切りというのが常識であれば、劉備は当たり前の判断をしただけなのかもしれませんね。
【中国を代表する物語「水滸伝」を分かりやすく解説】
家族にとっては迷惑な男の絆
劉備が一人でパッパカ行ってしまうので、趙雲はあわてて追いすがり尋ねます。
「ご主君、どこへ行くのですか?」劉備、無言。
「どこへ行くのかおっしゃってください。おともいたしますぞ!」
劉備、答えず。趙雲がもう一度たずねると、劉備は言いました。
「雲長(関羽)は漢の禄を受け、結義の心を忘れてしまった。荊州で劉表が王になっているからそこに身を寄せようと思うのだ」
「ご主君が荊州へ行かれるなら、趙雲もおともいたします!」
「お前の家族は冀王(袁紹)の人質になっているだろう。見殺しにできるのか」
「玄徳どのは仁徳のお方、必ず貴い身分となられます!」
こうして二人は連れだって荊州に向けて駆けて行きましたとさ。趙雲の家族を見殺しにして……。
よくもまあ “必ず貴い身分となられます”なんていう薄ぼんやりした感覚で家族を捨てられますね。将来皇帝になりそうな奴を見つけて落ち目の時に恩を売っておいてゆくゆくは王にでもなろうという魂胆なのでしょうか。一身の栄達が家族よりも大切なのでしょうか。趙雲様までも自己中キャラか。ブルータスお前もか。こんな展開は正史三国志にも三国志演義にもありませんので、趙雲ファンの方はご安心下さい。
三国志ライター よかミカンの独り言
趙雲のことを顧みず自分が窮地を脱することを最優先する劉備はなかなか根性が座っていますが、趙雲が自分についてこようとすることに対して、家族を見殺しにできるのかと尋ねるところは、さらにすごいですね。“家族を見殺しにしてまで俺についてくる覚悟はあるか”という問いです。
それでも趙雲がついてくるなら、劉備はその重~い忠心を背負って生きていかなきゃならないわけです。それを聞く以上、劉備には背負う覚悟があるということですよね。三国志平話の劉備、漢(おとこ)だなぁ……。
【参考文献】
翻訳本:『三国志平話』二階堂善弘/中川諭 訳注 株式会社光栄 1999年3月5日
原文:维基文库 自由读书馆 全相平话/14 三国志评话巻上(インターネット)