姜維が剣閣で最期の鉄壁の守りを見せる!!

2018年11月1日


 

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捕まる呂布

 

三国志ではいくつもの勢力が滅びていきますが、勢力が滅びる時見せ場とも言うべき瞬間が必ずやってきます。

例えば呂布(りょふ)曹操(そうそう)に敗北して滅亡してしまいます。

しかし呂布が滅亡する間際、下邳(かひ)篭城(ろうじょう)して曹操と壮絶な戦いを繰り広げています。

このように一勢力が滅亡する間際には必ず見せ場がやってくるのですが、蜀の場合はどうなのでしょう。

(しょく)の滅亡は劉禅(りゅうぜん)が蜀の内部に侵攻してきた鄧艾(とうがい)の軍勢に降伏した事で戦に決着がついてしまい、

あまり見せ場とも言うべき戦いが無いように思われます。

本当に蜀が滅亡する間際、見せ場とも言うべき戦いが無かったのでしょうか。

 

関連記事:魏の重鎮・郭淮と蜀の大将軍姜維どっちが強いでしょう??

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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蜀の滅亡間際に見せ場とも言うべき戦いはなかったのか?

三国志のモブ

 

蜀は劉禅が鄧艾に降伏した事で滅亡してしまいますが、蜀が滅亡する間際見せ場とも言うべき戦いは一度も起きなかったのでしょうか。

そんな事はありません。

蜀にも見せ場とも言うべき戦いはありました。

 

 

 

魏の大軍を迎撃する蜀軍

魏の大軍を迎撃する蜀軍と姜維

 

蜀の大将軍・姜維(きょうい)は魏の大軍が蜀の領土へ侵攻してくることを察知すると姜維自ら蜀軍を率いて魏の攻撃を防ぐ為、迎撃作戦を行います。

しかし姜維率いる蜀軍は鄧艾率いる魏軍の攻撃を受けて敗北し一時的に後退することになります。

その後も魏軍の圧倒的な軍事力や蜀の漢中近辺の城が降伏したりしたため、劣勢になっていきます。

姜維率いる蜀軍も鄧艾に敗北した後も魏軍と戦い続けていきますが、迎撃することを諦めて撤退していくことに。

姜維は蜀軍を率いて撤退していきますが、蜀軍の援軍としてやってきた張翼(ちょうよく)らと合流することに成功。

そして蜀滅亡の最大の見せ場とも言える剣閣(けんかく)へ籠城することになります。

 

北伐の真実に迫る

北伐  

蜀の最終拠点・剣閣

蜀の最終拠点・剣閣の地図

(画像:現在の剣閣)

 

姜維は援軍を吸収して軍勢を剣閣に駐屯させます。

この地をGoogleで調べてみると断崖絶壁で、守りやすく攻めにくい土地であることは一目瞭然でわかると思うので、是非一度調べてみてください。

この断崖絶壁の要塞に姜維は蜀軍を率いて篭城することになります。

 

 

蜀の滅亡の最後の見せ場

三国志のモブ

 

姜維は軍勢を率いて剣閣へ駐屯。

姜維が軍勢を率いて剣閣へ駐屯した後、魏の大軍を率いて鍾会(しょうかい)率いる軍勢が剣閣へ到着します。

そして魏の鍾会は剣閣へ攻撃を仕掛けるのでした。

鍾会率いる魏軍は剣閣へ攻撃を仕掛けますが、全然ビクともせず、剣閣を攻略することができませんでした。

そこで鍾会は姜維を降伏させるために手紙を書きますが、姜維は鍾会からもらった手紙に返事をすることなく、

魏の攻撃を防ぎきるための防衛を固めていきます。

 

正史三国志によると鍾会は姜維が降伏するような素振りを見せず、また兵糧を遠方から輸送していたため、軍勢を引き返そうか迷っていたそうです。

もしこれが事実であれば、姜維がもう少し剣閣で頑張っていれば鍾会を追い返す事も可能であったのかもしれません。

まさに蜀滅亡間際の最後の見せ場といっていい戦いではないのでしょうか。

   

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レンの独り言

 

姜維が剣閣で鍾会率いる魏軍の攻撃を防ぎきることに成功し、鍾会も撤退しようか迷っていた素振りがあったそうです。

もし魏軍の蜀討伐戦に鄧艾がいなければ、蜀の国はもう少し長く生きながらえることができたのかもしれません。

しかし史実は魏の鄧艾が別の道を進んで蜀の内部へ侵入することに成功した事で大きく変化していくことになります。

鄧艾は防御が手薄になっていた蜀の内部の城を次々と攻略しながら成都へ向けて進軍していきます。

 

蜀の皇帝劉禅は魏軍の攻撃にどうすればいいのか判断に迷ってしまい、家臣からの勧めによって魏へ降伏。

こうして蜀は劉禅が降伏したことによって滅亡することになるのでした。

姜維は劉禅滅亡後も戦いを剣閣で継続していましたが、劉禅が降伏したことを成都からの使者によって知ったそうです。

この時の姜維や剣閣にこもっていた蜀の諸将の気持ちはかなり悔しかったのではないのでしょうか。

なぜならば自分達が優勢であったにも関わらず、劣勢であった魏軍に降伏しなければならなかったのですから

 

参考文献 三国志武将辞典等

 

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魏のマイナー武将列伝

 
 
 

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