曹洪の手紙が美文のお手本『文選』に載っていた!しかしその実態は…!


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曹洪

 

六世紀に編纂された、中国古典の名文を集めた書物、『文選(もんぜん)』。

その中に、曹洪(そうこう)から魏の文帝にあてた手紙が収録されています。

曹洪といえば補給や戦場での活躍の他にはケチんぼエピソードが記憶に残る人物で、作文上手のイメージはありませんが、

『文選』に載っている手紙はすばらしい美文です。

曹洪さん名文家でもあったのね、意外な一面を知っちゃった、と思いきや、その文章のタイトルを見ると衝撃の真相が!

 

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曹洪のかっこいい話

曹洪のかっこいい話

 

手紙の内容を見る前に、曹洪ってどんな人か、振り返ってみましょう。

曹洪は曹操(そうそう)のいとこです。

曹洪のエピソードで最も有名なのは、正史三国志曹洪伝に載っていて三国志演義にも書かれている、曹操に馬を譲った話でしょう。

曹操は反董卓連合の鈍重さに業を煮やして単独で董卓に追撃をかけた際、大敗して馬も失ってしまいました。

その時、曹洪は曹操に自分の馬を譲りました。辞退しようとする曹操に、曹洪はこう言いました。

 

「天下に曹洪はなくてもよいが、あなたはなくてはならない人だ」

 

こうして馬を譲った曹洪。川辺に着いた時は、そこらじゅうを歩き回って船を探し出し、曹操とともに船に乗って対岸に渡りました。

こうして根拠地まで逃げ延びることができました。

その後も兵の調達や補給で活躍し、たくさんの県を攻め落とした功績もあり、最後には驃騎(ひょうき)将軍にまで昇進しました。

 


 

曹洪のおちゃめな話

曹洪のおちゃめな話

 

正史三国志辛毗(しんぴ)伝によれば、曹洪は曹操から財産に汚いことと好色であることを心配されていたようです。

曹操が漢中を手に入れた頃、馬超(ばちょう)が攻めてきたことがあり、曹操はその撃退のために曹洪を派遣しましたが、辛毗と曹休を同行させることとし、

二人にこう言い含めています。

「昔、漢の高祖は財産に汚く女好きで、張良(ちょうりょう)陳平(ちんぺい)が間違いをおこさせないよう気を配っていた。

曹洪については佐治(さじ)(辛毗)と文烈(曹休(そうきゅう))に気を配ってもらわなければならない。責任重大だぞ」

 

曹洪伝には、「家が豊かなのにケチな性格であった」とばっちり書かれています。

曹洪伝の注釈に引用されている『魏略(ぎりゃく)』には、曹操が「私の家の財産が子廉(しれん)と同等なはずがない(あいつのほうが絶対金持ちだ)」と言った言葉が

残されています。

曹洪伝によれば、曹洪は曹操の太子の曹丕(そうひ)から借財を申し込まれたのを断ったため、曹丕はそれをずっと根に持っており、

後に皇帝(文帝)になってから、ささいな罪で口実をつけて曹洪を処刑しようとしたそうです。

 

注釈に引用されている『魏略』によれば、曹丕が借りようとしたのは絹100匹(約965m)。

ビルを何棟も持っていて時価50億円の豪邸に住み、オートシャッターのガレージにBMWが2台と奥さんの買い物用のボルボが1台と

趣味でいじっているハーレーが8台もある親戚のおじさんに「選挙資金が足りないので三百万円貸して下さい」とお願いして

断られたというくらいのイメージでしょうか。

 

女性関係では、楊阜(ようふ)伝につぎのような話があります。

曹洪が漢中の防御に赴いた際、馬超が撤退すると、曹洪はお祝いの宴を開きました。

その時、スケスケの衣裳を着けた娼妓(しょうぎ)たちに足で太鼓を踏みならさせてみんなでゲラゲラ笑って盛り上がっていると、

楊阜にこんなふうに怒られてしまいました。

 

「男女のけじめは国の大節。

人の集まる席で女人の体をさらすとは、暴君の桀王や紂王でもここまででたらめではなかっただろう」

楊阜はぷりぷり怒って宴会の席から出て行ってしまいました。

 

覇を競う乱世に新たな秩序を打ち立てた曹操の生涯
曹操孟徳

 

とても素直な性格

とても素直な性格な曹洪

 

ケチんぼでスケベな曹洪さんですが、とても性格の素直な人であったようです。

曹丕から処刑されそうになった時は曹丕の母親の卞太后(べんたいこう)がかばってくれて死刑をまぬかれました。

曹洪伝の注釈に引用されている『魏略』によれば、曹洪は死を免ぜられたことを喜び、次のような内容の手紙を曹丕にたてまつっています。

 

「私はケチんぼでダメ人間で罪深く、さらし首になって当然ですのに、大恩を被って命がつながり感謝感激雨あられです」

(←ざっくりとした要約です)

スケスケ衣裳の女の子を宴席に出して楊阜に叱られた時は、すぐさまスケスケ衣裳パフォーマンスをやめさせ、

楊阜に宴席に戻ってきてくれるようお願いし、粛然として過ごしたそうです。


 

『文選』に載っている曹丕への手紙

『文選』に載っている曹丕への手紙

 

前置きが長くなりました。さて『文選』に載っている曹丕あての美文ですが、内容としては謙遜の手紙です。

以前に曹洪が張魯(ちょうろ)との戦いのときのことを自慢げに語ったら曹丕からお褒めの手紙が届いたので、いやいやあの時は自慢しすぎちゃいました、

褒めすぎですよ陛下、と謙遜しております。

次のような書き出しです。

 

十一月五日、洪が申し上げます。先ごろ賊を破った際には誇らしく鼻が高くなってしまい、おおげさに申し上げてしまいました。

九月二十二日のご書簡を拝し、喜びのあまり顔がゆるむほどで、何度も読み返しては飽きずにおります。

陳琳に返事を書いてもらおうと思ったのですが、陳琳はこのところ忙しく、書くことができませんでした。

遠く離れてはおりますが心を通わせたいと思い、みずからこの年寄りの思いをつくして書くことといたします。

言葉にしようとすれば多すぎて書き尽くせませんので、おおまかに申し上げて談笑に当てたいと思います。

 

ごく当たり前な感じのこまやかな書きっぷりなのですが、原文を見るとなんだかすごいです。

四文字と六文字の句を基調としていて、とてもリズムがいいのです。

日本語でいえば、文章が全体的に五七調、みたいな感じです。

原文の一部を漢字で書いてみるとこんな見た目です。

 

前初破賊

情奓意奢

説事頗過其実

得九月二十日書

読之喜笑

把玩無厭

亦欲令陳琳作報

琳頃多事

不能得為

念欲遠以為懽

故自竭老夫之思

 

 

なんですかね、この様式美。文豪ですか、って感じです。


  

 

比喩の使い方も巧みで美しい

比喩の使い方も巧みで美しい曹操

 

文中には比喩が巧みに使われており、流れるような美しさです。

例えば、自軍の快進撃の様子を次のような比喩で表現しています。

 

駭鲸(がいげい)細網(さいもう)(けっ)し、奔兕(ほんじ)鲁縞(ろこう)に触るるがごとし

(大きな鯨が細い網を破り、突進する牛が魯の薄絹に触れるよう)

(ほし)流れ(かげ)集まり、(ひょう)(ふる)いて(てい)(うつ)つがごとし

(星が流れ陽光が集まり、つむじ風がおこり雷が大地を打つかのよう)

 

こういう比喩をいくつも使いながら、自軍の快進撃の様子を書き、こういうことができたのは張魯のところに大した人材がいなかったからであって、

私の手柄ではありません、という流れでしめくくっています。

比喩が巧みなだけでなく、文章の流れもしっかりしていて、主張が分かりやすいです。

曹洪にこんな文才があったとは……!?

 

文章がうますぎるって疑問に思いますよね!?

曹操

 

曹洪が名文家だとは聞いたことがないのに、なんて素晴らしい手紙でしょう。びっくりです。

美文すぎることを疑われると思ったらしく、手紙の最後は次のような文章でしめくくられています。

 

わたくしは蜀の益州に出掛けていってからというもの、司馬相如(しばしょうじょ)楊雄(ようゆう)王褒(おうほう)などの人々の遺風に心惹かれ、

子勝にならって文章のきらびやかさを強く求めるようになりました。

それゆえ、文章の書き方がいささか、以前とは違っております。

それなのに不思議なことに、あなたは昔の人々が孔子を知らないで東家の丘と(さげす)んだように、

私が人を雇って代作させているなどといっておりますが、これは一体なんということでありましょうか。(中略)

とはいえ、貴方は私の大言壮語(たいげんそうご)を信じられず、きっと大笑いなされるのではないかと心配しております。洪、敬具。

 

和訳引用元:『新釈漢文大系第83巻文選(文章篇)注』明治書院 竹田晃 1998年7月25日

(中略)は よかミカン

 

そして、『文選』に載っているこの文章のタイトルはなんと、

「曹洪の(ため)に魏の文帝に(あた)うるの書」!

著者は「陳琳(ちんりん)」!!

陳琳の代筆だったー!!!

 

三国志ライター よかミカンの独り言

三国志ライターよかミカンの独り言

 

陳琳は建安七子の一人で、名文家として有名です。

曹洪のために代筆したこの手紙も、唐のはじめの頃まで大流行した四六駢儷文(しろくべんれいぶん)の走りのような美文であります。

曹洪さん、代筆じゃないよー、ぼく文章上手になったんだよー、って書かせたのに、筆者が陳琳であることは

『文選』にばっちり書かれてしまっていますね。

きっとすぐに嘘がばれたのでしょう。

死刑をまぬかれた時に必要以上にへりくだって喜んだり、はめをはずしすぎて叱られたらすぐにかしこまったり、

文章が上手になったなどとすぐにばれる嘘をついたり。

そんな曹洪さんが、なんだかいとおしくなりました。

 

参照テキスト:『新釈漢文大系第83巻文選(文章篇)注』明治書院 竹田晃 1998年7月25日

 

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