三国志平話
濡須口の戦い




はじめての三国志

menu

はじめての漢

邯鄲淳とはどんな人?曹丕と曹植が欲しがった学者で笑い話集『笑林』の編者




邯鄲淳

 

中国で最古の笑い話集とされている『笑林(しょうりん)』は、三国志()の学者・邯鄲淳(かんたんじゅん)編纂(へんさん)したものであると言われています。

内容はシュールで面白く、また、当時の世相を感じることもできるため、三国時代の文化に関心のある方にぜひおすすめしたい本です。

本日は、『笑林』と、その編者といわれている邯鄲淳のご紹介です。

 

はじめての三国志全記事一覧はこちら

関連記事:【芸は身を助く】曹植が邯鄲淳に一発芸を披露、王位継承者に近づく

関連記事:千数百年経っても面白い!?三国時代笑い話

 

 

原本は散逸! 他の書物に引用されたものが残っている

書籍

 

歴史書の『隋書』や『旧唐書(くとうじょ)』『新唐書』にある書籍目録には、邯鄲淳の『笑林』が記載されています。

それらによると、全部で三巻の本だったようです。

その後、原本は散逸してしまい、現在読むことができるのは『太平広記』『太平御覧(たいへいぎょらん)』『藝文類聚(げいもんるいじゅう)』などの本に引用されていた部分です。

原本は残っていないけど他の本に引用された部分だけ残っているよ、という本って、けっこう多いですよね。

 

 

書法に通じ古代文字を書ける高名な学者

 

『笑林』の編者の邯鄲淳はどのような人だったのでしょうか。

姓は邯鄲、名は淳、またの名を(じく)、字は子叔(ししゅく)。潁川郡出身。

董卓(とうたく)やその残党が長安を騒がせていた頃に南方に避難し、荊州の劉表(りゅうひょう)のもとにいましたが、劉表が亡くなり跡継ぎの劉琮(りゅうそう)

曹操(そうそう)に降伏すると、曹操に召されました。

三国志王朗伝の注釈に引用されている『魏略』では、儒学の宗家として下記の7人の名前が挙げられています。

 

董遇(とうぐう)賈洪(かこう)、邯鄲淳、薛夏(せつか)隗禧(かいき)蘇林(そりん)楽詳(がくしょう)

 

当時は後漢末期の戦乱で学問がすたれ、国家が認めた儒教の経典のテキストを刻んだ石碑も欠けてしまい、太学(たいがく)に入ってくるのは

シャバでの義務から逃れるためのやる気のない学生ばかり、先生も教える能力のない者ばかりという状況だったそうです。

そうした時代に、この7人のような人たちが学問を復興させたのですね。

で、『笑林』編者の邯鄲淳もその一人だった、と。

 

三国志劉劭(りゅうしょう)伝の注釈に引用されている『文章叙録』では、書の名手として鍾繇、邯鄲淳、衞覬(えいき)韋誕(いたん)の名前が挙げられています。

そこに引用されている『四体書勢』の序文にはこうあります。

 

秦が篆書を用い、古い書籍を焼いてしまったため、古文(古い時代の書体で書かれた書物)は絶えてしまった。

漢の武帝の時代、魯の恭王が孔子の邸宅を解体した時に『尚書』『春秋』『論語』『孝経』が出てきたが、当時の人々はすでに古文というものの存在すら知らなかった。

人々はこれを「科斗書(かとしょ)」と呼び(科斗はオタマジャクシ)、漢の時代には しまいこまれており、人目に触れることもまれだった。

魏になって古文を伝えた者は、邯鄲淳が最初である。

 

この文の後にも邯鄲淳への言及があり、それによると、邯鄲淳は様々な書体に通じており、その書の精密にして条理あるところには、

かの有名な蔡邕(さいよう)も及ばなかったそうです。

 

■古代中国の暮らしぶりがよくわかる■

古代中国の暮らし図鑑

 

曹植と意気投合

曹植と意気投合

 

三国志王粲伝の注に引用されている『魏略』には次のような話があります。

曹操が荊州を手に入れた時、かねてより名を聞いていた邯鄲淳のことを召し出して会見し、曹操は邯鄲淳をとても優れた人物であるとして敬いました。

曹操の息子の曹丕はこのころ広く儒者を求めていたところで、邯鄲淳の名前もかねてより知っていたので、邯鄲淳を自分の文学の官属に入れたいと

お願いしました。

たまたま弟の曹植も邯鄲淳を求めており、曹操は邯鄲淳を曹植のところへ行かせました。

 

曹植は邯鄲淳を得てとても喜んだものの、招き入れて席をすすめたきり何も話しません。

季節は暑いさかり。曹植は従者を呼んでおもむろに水浴びを始めました。

それが終わるとおしろいを塗り、頭をむきだしにして (髪をむきだしにしておくことは裸同然の破廉恥スタイル)、 肌脱ぎになり、異民族のように

五椎鍛(ごついたん)を踊り、ジャグリングや撃剣をし、役者が語る小話数千語を語りました。そうしてこう言いました。

「邯鄲先生、いかがでしたか?」

これが終わると曹植は衣服を身につけ威儀を整え、天地創造から学問、政治、軍事にわたる様々な話を語り合い、邯鄲淳と意気投合。

邯鄲淳は曹植を大絶賛し、知り合いに曹植のことを「天人だ」と語ったそうです。

当時、曹操の跡継ぎはまだ決まっておらず、曹操の気持ちはにわかに曹植のほうに傾きました。

邯鄲淳がしばしば曹植を褒め称えたので、曹丕は面白くありませんでした。

 

曹丕が皇帝になって運命が暗転

曹丕が皇帝になって運命が暗転

 

邯鄲淳は曹植のサロンでぶいぶい言わせていましたが、曹操の跡継ぎが曹丕に決まると運命に影が差し始めます。

曹丕は皇帝になると、邯鄲淳を自分のところへ呼び寄せました。

藝文類聚(げいもんるいじゅう)』三十一巻に「魏邯鄲淳答贈詩」という詩が載っており、「贈呉処玄詩」とも呼ばれていますが、

これは邯鄲淳が曹植のもとを離れる時に仲間に送った別れの詩です。

儒者らしい古風な体裁の四言詩で、内容は次のようなものです。

 

曹植様に終生仕えるつもりだったが曹丕の命令には逆らえないからいやいや行く。

行っても冷や飯を食わされることは目に見えている。我々の一派は敗れたのだ。

でもできることを頑張っていればそんなに悪いことにはならないさ。君は頑張れよ。

 

曹丕は邯鄲淳を博士給事中にしました。さほど高い役職ではありません。

邯鄲淳が「投壺賦(とうこふ)」千余言を奏上すると、曹丕はよくできた作品であるとして帛千匹を与えました。

おそらく曹丕の考えとしては、できる奴を曹植から引き離したかっただけで、学識に対しては一定の敬意を払いつつも通り一遍の対応だけして

放っておこうというというつもりだったのでしょう。

この頃邯鄲淳はすでに九十歳くらいのおじいちゃんで、その後の記録はありませんが、おそらく曹丕のところでは特に面白いこともなく、

間もなく亡くなったのでしょう。

 

三国志ライター よかミカンの独り言

三国志ライター よかミカンの独り言

 

高名な学者の邯鄲淳が笑い話集『笑林』を編纂したのは何故なのでしょうか。

『笑林』はシュールな笑いの中に世相への諷刺(ふうし)が垣間見られるため、意外に真面目な政治的な書物であるのかもしれません。

曹植が邯鄲淳の心をつかむために大道芸のようなパフォーマンスをしたのは、もしかすると邯鄲淳の批判精神を理解していることを行動で

示したのかもしれませんね。

『笑林』の内容は他の記事で紹介させて頂きますので、ご興味のある方はそちらもぜひご覧下さいませ!

 

参考文献:

竹田晃・黒田真美子 編『中国古典小説選12 笑林・笑賛・笑府他<歴代笑話>』明治書院 2008年11月10日

 

はじめての三国志:全記事一覧はこちら

関連記事:曹丕はけっこうグルメだった!?蜀の食文化にも食いつく!

関連記事:【諸葛亮vs曹植】言論バトル、前漢の功臣と二十八将どちらが優秀?

 

【漢のマイナー武将列伝】
漢のマイナー武将列伝

 




よかミカン

よかミカン

投稿者の記事一覧

三国志好きが高じて会社を辞めて中国に留学したことのある夢見がちな成人です。

個人のサイトで三国志のおバカ小説を書いております。

三国志小説『ショッケンひにほゆ』

【劉備も関羽も張飛も出てこない! 三国志 蜀の北伐最前線おバカ日記】

何か一言:
皆様にたくさん三国志を読んで頂きたいという思いから わざとうさんくさい記事ばかりを書いています。

妄想は妄想、偏見は偏見、とはっきり分かるように書くことが私の良心です。

読んで下さった方が こんなわけないだろうと思ってつい三国志を読み返してしまうような記事を書きたいです!

関連記事

  1. 妻子を人質に取られすぎな劉備
  2. 韓嵩(かんすう)が気の毒すぎる!劉表に命じられて曹操の元へ偵察に…
  3. 袁尚(えんしょう)とはどんな人?兄と争ったせいで袁家をつぶしてし…
  4. 司馬徽(しばき)はどんな人?なんでも善きかな、生涯誰にも仕えなか…
  5. 曹操のハニートラップ作戦が義に生きた武人・関羽に通用するのか?
  6. 劉備と呂布を仲たがいさせよ!二虎競食の計
  7. 劉備に足りないもの 三国志 56話:水鏡先生との出会い。劉備に足りない人材って誰の事?
  8. 31話:献帝を手にいれて、群雄から抜きん出た曹操

google検索フォーム

過去記事を検索できます

ピックアップ記事

  1. 大久保利通 幕末
  2. 王元姫

おすすめ記事

  1. 曹操と劉備はどうしてライバル扱いなの?【三国志の素朴な疑問】
  2. 『史記』に託された司馬遷の激情とは
  3. 伍孚(ごふ)とはどんな人?ゴフッ・・董卓を殺せなかった無念のアサシン
  4. kawauso編集長のぼやきVol.29「好きだからこそ」
  5. 諸葛恪(しょかつ かく)ってどんな人?頭が良すぎて諸葛一族を滅ぼす
  6. 【素朴な疑問】三顧の礼はどうして凄いのか?

三國志雑学

  1. 司馬師と司馬懿は晋建国の功労者
  2. 蜀の皇帝に即位した劉備
“はじめての三国志150万PV" はじめての三国志コミュニティ総合トピック
“広告募集"

はじめての三国志 書籍情報

朝まで三国志 三国志最強のワルは誰だ (桃園出版 三国舎)

著:kawauso 価格480円
※Kindle読み放題対応

ピックアップ記事

おすすめ記事

2分で分かる合肥の戦い その4 張遼の猛攻 【ネオ三国志】第7話:皇帝に就任した袁術と荀彧の秘策【蒼天航路】 長宗我部元親「四国の蝙蝠(こうもり)」の四国統一戦を分かりやすく紹介! 激務をちょっと忘れられるホッと一息の「ユルめ記事」2016年総集編 石田三成(いしだみつなり)とはどんな人?戦術が苦手で人から嫌われてたけど秀吉の大事な家臣で友人思いの人だった!! 徐晃は名将と呼べる将軍だったの?? 曹操の機転。濮陽の戦いと定陶の戦い 趙奢(ちょうしゃ)とはどんな人?趙の三大天最後の一人で政治・軍事両方に秀でた名将【前半】

おすすめ記事

  1. 【シミルボン】忘年会の余興にいかが?三国志時代に流行したスポーツ撃壌
  2. kawauso編集長のぼやきVol.6「天敵」
  3. 【二世対決】呉の名将陸遜の息子・陸抗VS雷神の養嗣子・立花宗茂
  4. 衝撃の事実!忍者のルーツは春秋戦国時代の中国にあった?(HMR)
  5. もうやってられない! 三国志の時代ではどのような理由で主を変えてたの?
  6. 諸葛亮が三人目の後継者候補を言わなかったのはなぜ?
  7. 顧雍(こよう)とはどんな人?孫権から絶大な信頼を得ていた呉の二代目丞相へ抜擢された政治家
  8. 【キングダム】用心深い男、王翦の幸せな最期を大胆予想

はじさん企画

袁術祭り
李傕祭り
帝政ローマ
広告募集
まだ漢王朝で消耗してるの?
HMR
ライフハック
君主論

ビジネス三国志
春秋戦国時代
日常生活
曹操vs信長
架空戦記
ライセンシー
北伐
呂布vs項羽
編集長日記
はじめての三国志TV
“曹操孟徳" “黄巾賊" “赤壁の戦い" “THE一騎打ち" “夷陵の戦い" “kawausoのぼやき記事" “よかミカンのブラック三国志"
“西遊記"

“三国志人物事典"

PAGE TOP