【キングダム】王騎は史実では全く活躍しないダメ将軍?


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漫画キングダムにおいては、最強のレジェンド将軍となった王騎(おうき)

 

すでにキングダムでは故人であり、強烈な生き様を信に記憶された人物としてキャラクター造形としては、もっとも成功した人物と言えるでしょう。

しかし、それはあくまでも漫画の話、史実の王騎がどんな人だったかはまた別です。

実は王騎は史実では、まったく活躍していないダメ将軍疑惑があるのです。

 

自称・皇帝
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王騎という人物は史実にはいない!

 

そもそもの話としてキングダムで言う王騎という名前の将軍は史実にはいません。

 

ただ、王騎(おうき)に近い名前の人物として王齮(おうき)という将軍が登場します。この()という漢字は常用漢字ではないので漫画を連載する上での配慮で騎兵の騎に変えて王騎にしたのだと推測します。

 

kawauso編集長

 

ここはナイスな判断ですね、もし無理やり王齮で通したら読者は読みずらいわ、写植屋(しゃしょくや)さんは大変だわで良い事は一つもないですからね。

 


 

王騎の史実での功績とは?

 

では、王齮を王騎に読み替えたとして史実の王騎の功績はどんなものでしょう?

それは存外に少なく以下の通りです。

 

紀元前246年秦王政が即位すると、蒙驁(もうごう)麃公(ひょうこう)らと共に将軍に任じられる。

紀元前244年蒙驁が韓を攻め十三城を取るも同年に死没。

秦始皇本紀

 

たったこれだけ、こんな履歴書を面接に出したら怒られる事間違いなしです。

 

何より残念なのは、蒙驁(もうごう)麃公(ひょうこう)と言ったキングダムのお馴染みキャラと共に秦王政に将軍に任じられているのに、これという手柄もないままに紀元前244年には死没しているという事です。

 

ホウ煖(龐煖)

 

(きょう)との悲劇のラブロマンスも龐煖(ほうけん)との因縁も、秦の六大将軍の最期のレジェンドとして秦の昭王(しょうおう)の時代に怪鳥と呼ばれ六国に恐れられたとするキングダムの王騎の片鱗は欠片もないと言って良いでしょう。

 

王騎は、史実においては特に目立つ功績が無いダメ将軍でした。

 

—熱き『キングダム』の原点がココに—

春秋戦国時代


 

王騎は史実では王齕でもあった!

 

もし、こんなスカスカ履歴で原泰久が漫画の王騎を創作したとすると凄まじい才能ですが、実は史実の王齮は同時代に活躍した王齕(おうこつ)と同一人物であった説が千年以上前からあり、原泰久(はら やすひさ
)
も王齕も王騎を創造するネタ元にした可能性があるのです。

 

では、そんな王齕の履歴も紹介してみましょう。

 

紀元前260年、(ちょう)を討って上党を獲った。

趙の反撃に対して秦は内密に白起を増援させて上将軍とし王齕を副将とした。

長平の戦いでは趙を大いに破った。

 

紀元前259年、白起(はくき)に代わって将として趙の武安君(ぶあんくん)を討ち皮牢(ひろう)を獲る。

紀元前258年、王陵(おうりょう)が趙の邯鄲(かんたん)を攻め援軍を送るも戦況が思わしくないので王齕が代わって将となる。

 

紀元前257年、邯鄲を攻めたが落とせないので汾城郊外の秦軍と合流した。

 

荒れる黄河

 

その後、魏を攻め斬首六千、魏軍は敗走し黄河(こうが)で二万人が溺死した。

汾城も攻め落とし、張唐(ちょうとう
)
に従い寧新中を抜いた。

 

紀元前246年、韓の上党を攻めて太原郡(たいげんぐん)を置いた。

 

 

信陵君

 

魏の信陵君(しんりょうくん
)
が五カ国連合軍を率いて秦を攻めた、蒙驁(もうごう)と迎え撃ったが敗れた。

秦軍は河内から河北(かほく)に退却しその軍を解散した。

 

王齮と比べると王齕の履歴書はギッチリ詰まっていますね。

 

城も取っていますし、六千人とか二万人とかまとまった数の敵を斬っています。

 

さらに、列伝も立てられている超メジャーな将軍白起(はくき)の副将だったり、白起の代わりに指揮官を命じられたり趙の武安君を破ったりしています。

こういうと可哀想ですが、王齮の履歴と比べると月とスッポンです。

 

キングダムの王騎は、邯鄲(かんたん)攻めにも参加し趙括(ちょうかつ)を一撃で斬殺した場面があるので漫画における王騎は王齕の影響を受けていると思います。

※ただ、キングダムでは王齕は秦国六大将軍として王騎とは別枠扱いです。


  

 

 

【王騎の史実】王齮と王齕は同一人物である根拠

名探偵郭嘉

 

kawausoは、この王齕と王齮は同一人物であると考えています。

 

理由は両者の履歴に重なる部分がない事と名前の齕と齮は発音から文字、意味まで非常に良く似ているからです。

王齕の記録は紀元前247年で途切れ、王齮の記録は紀元前246年から始まる。

 

キングダムの政

 

それも、最初は秦王政に将軍に任命される所からです。

 

政(始皇帝)

 

すでに昭王の時代に王齕は副将にされていますが、中国では王が替わると王のお気に入りの将軍も失脚し更迭される事が多いので、秦王政は改めて王齮、蒙驁、麃公(ひょうこう)を将軍に任じて変わらず重く扱うと意志表示したのだと推測します。

 

また、中国語の発音では、齕は()であり齮は()で発音が似ています。

 

そればかりではなく、両方の漢字は意味も「噛む」や「かじる」という意味でおまけに二つの漢字を合わせて齮齕(きこつ)にすると、恨む、(ねた)む、争うというような意味になるのです。

 

項羽

 

実は、秦の歴史書は項羽が紀元前206年、項羽(こうう)咸陽(かんよう)に入城し徹底的な略奪と放火により一部の法律書等を除き灰になっています。

 

項羽

 

そこで司馬遷(しばせん)は、項羽の焼き討ちから百年程後に秦の古老から聞き取りをして史記、秦本紀や始皇本紀を書いたのです。

 

その聞き取りの途中で複数の古老から話を聞いた司馬遷(しばせん)は、よく似た発音と意味の齮と齕を聞き間違えて、(あたか)も似た名前の二人の将軍がいたように理解し、これが王齕と王齮の二人の将軍を産んだ理由なのではないかと思うのです。

 

王騎は史実では病死した?

病気になった兵士

 

さて、秦王政にも変わらず信任された王騎ですが、その翌年紀元前244年には同僚の蒙驁が(かん)を攻めて手柄を立てている間に死んでいます。

 

秦始皇本紀によると、紀元前244年には「歳大いに()ゆ」とあり、秦は深刻な飢饉に見舞われたと書かれているのです。

しかし、どうして飢えたのかまでは書かれていません。

 

旱魃か長雨か、そうでなければ伝染病が流行して労働力人口が減ったかも?

 

もし、伝染病とすると紀元前260年から前線に立ち続けた王騎は、伝染病に感染し病気で死んだのかも知れません。紀元前260年には、白起の次席である副将になっている位なので伝染病が流行した頃には相応の老年になっていたのでしょう。

 

王騎、史実でも騰は副官だった?

 

王騎と言えば、その相棒がポーカーフェイスの副官(とう)です。実際の史実でも騰は王騎の副官だったのでしょうか?

 

これも残念ながら騰が王騎の副官だった事実はありません。

騰は内史騰(ないしとう)として歴史に登場していてその履歴は以下の通りです。

 

紀元前231年、秦が韓より南陽を割譲されて南陽郡が置くと仮の郡守となる。

紀元前230年、騰率いる秦軍10万が韓を攻め韓王安は捕虜とされ韓は滅亡し、秦の潁川郡として統治下に置かれた。

紀元前229年、楚国攻略準備の為南郡の郡守に任命され駐留する。

紀元前227年4月、騰は法を厳格に執行するため郡に文書を発布して人民に法を広く知らしめた。

 

これを見ると、騰は韓から割譲された南陽郡守から一転して翌年には韓を攻めて韓王安を捕らえて韓を滅ぼす大手柄を立てています。紀元前229年には楚国攻略の準備の為に南郡の郡守にされるなど、なかなか的確な用兵をしているようです。

 

史実の王齮より手柄はずっと上であるように見えます。そして、史実の王騎の最期の登場が紀元前244年なので活躍時期がずれていて王騎の副官であった事は無いと考えられます。

 

王騎、史実では六大将軍じゃない?

 

キングダムでは六国を恐怖させた秦の六大将軍が出てきます。

 

それは、王騎、王齕、(きょう)胡傷(こしょう)、白起、司馬錯(しばさく)の六名で昭王から直々に自分の判断で六国を攻撃してよいという特権を与えられています。

この中に王騎は含まれているのですが、史実では秦の六大将軍など存在しません。

 

仮に存在しなくても、同じ時代に六人の将軍はいたのは事実では?そう思われがちですが、実はそうでもないのです。

以下に六大将軍の活躍時期を並べてみましょう。

 

司馬錯(紀元前316年~紀元前280年)

王騎(紀元前246年~紀元前244年)

摎(紀元前256年~紀元前254年)

胡傷(紀元前273年~紀元前269年)

王齕(紀元前260年~紀元前246年)

白起(紀元前294年~紀元前257年)

 

こうしてみるとそれぞれの将軍の活躍時期にバラつきがあり司馬錯、白起、胡傷はギリ同時代と考えられますが、摎や王騎、王齕は司馬錯の最期の活躍の紀元前280年にも間に合っていないと考えるのが自然ではないでしょうか?

 

つまり、司馬錯はどう見ても同時代ではなく一世代前、仮に揃うとしても、それ以外の五将軍で精一杯でしょう。

 

王騎と信は史実でも師弟関係?

 

漫画キングダムでは、王騎とは師弟関係にある主人公信ですが、史実でも王騎と師弟関係だったのでしょうか?

 

矛を持った信

 

キングダムの主人公、信のモデルは史実で登場する将軍李信です。

しかし、彼の史実での初登場は、紀元前229年、王翦が数十万の大軍を率いて趙の李牧と対峙したのが最初です。

 

これでは、紀元前244年には死んだと考えられる王騎とは会えない事になります。

 

ボロボロになりながらも戦う信

 

また、紀元前225年に秦王政は楚を攻めようと考えて王翦と李信に必要な兵力を問いただすと王翦は六十万と言い、李信は二十万で十分と回答しましたがここで秦王政は、李信の若者らしい自信家ぶりを評価し任せたとあります。

 

逆に王翦には耄碌(もうろく)したように感じたようですから、紀元前225年の段階で李信は若い将軍だったのでしょう。とどめには、史実の李信は下僕の出身ではなく、一説には隴西李氏(ろうせいりし)嬴姓(えいせい)の出自で先祖は秦や趙の先祖と同じとも言われます。

 

これでは下僕どころか高貴の出自という事になり、下僕の信を見出して大将軍の道へ導いたというキングダムの設定は史実では成り立ちません。

強いて言えば、王騎と李信の年齢差くらいが史実に近いという位でしょう。

 

王騎は史実でも龐煖と関係ある?

 

最終的に王騎の命を奪った相手が武神龐煖(ほうけん)です。

 

しかし、この龐煖はキングダムで相当な脚色が加えられた人で史実の龐煖はジジイでインテリであり野獣のようなキングダムの龐煖とは別人と言えます。

では、王騎と龐煖は対峙した事があるのかというと、史実では確認できません。

そもそも龐煖が年代が確かな史料に出てくるのは

 

悼襄王(とうじょうおう)三年(紀元前242年)、燕を攻め将軍の劇辛(げきしん)を捕虜とする

趙世家

 

ここからであって、この時点で史実の王騎は歴史に登場しなくなっています。

龐煖自身はかなりの長寿で晩年に将軍になっているので王騎と絶対に会っていないとは言えませんが、

少なくとも仇敵同士(きゅうてきどうし)でない事は間違いありません。

 

王騎、史実では子孫はいるの?

キングダムと三国志 信と曹操のはてな(疑問)

 

漫画キングダムでは、婚約者である摎を龐煖に殺害されて以来独身を通して死んだ王騎。では、史実の王騎には子孫はいたのでしょうか?

 

実際には王騎の子孫について言及した史料はなく、王騎に子孫があったかどうかまったく分かりません。しかし、それでは面白くないので王騎の祖先について考えてみます。

 

王騎の王氏は太原王氏(たいげんおうし)という一族なのだそうです。

その始祖は周の24代霊王の太子で姫晋(きしん)という名前でした。皇太子なので太子晋(たいししん)と呼ばれていたようです。

 

姫晋は聡明な人物でしたが、寿命には恵まれず紀元前549年に16歳で死にます。

 

周の王位は次男の姫貴(きき)が継いで景王(けいおう)として即位。景王は、姫晋の息子の姫宗敬(きすうけい)を登用し彼は周の司徒(しと)として高位に登りますが、その頃から周王朝は没落が激しくなり将来を悲観した宗敬は、周の役人を辞めて晋陽という都市に行きそこで病死します。

 

姫宗敬は周を見限ったので姫姓を名乗らなくなり代わりに周の王族の末裔として王氏を名乗ったそうです。

 

王翦

 

そして、この姫宗敬から18代目の子孫が王翦(おうせん)だとされているとか・・

つまり王騎と王翦はルーツが同じという事なんですね。

ただ、王騎より後は前述した通り、記録がなにもないので分かりません。

 

キングダム(春秋戦国時代)ライターkawausoの独り言

 

以上、王騎について調べてみました。

王騎は史実では王齮と王齕と二人の将軍をモデルにされていて、この二人は名前が似ている事から別人とされただけで、恐らく同一人物だろうという事が分かりました。

 

朝まで三国志 kawauso

 

二人を統合すると、史実の王騎は白起の代わりに総大将を務めたり魏を攻めたり、韓を討って上党を奪ったりとキングダム程ではないもののかなり活躍している将軍だと言えるでしょう。

 

 

 

ただ、人物関係で見てみると信とは無関係、龐煖とは仇敵関係ではなく騰とはアカの他人の可能性が高いというように、ほぼキングダムの創作脚色という事になります。

 

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