諸葛亮の逸話ってなに?司馬懿も恐れた孔明の逸話を紹介

2019年4月21日


 

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挑発する諸葛亮孔明

 

三国志(さんごくし)で軍師の代名詞となった諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)

 

孔明 vs 司馬懿

 

()の軍師・司馬懿(しばい)と彼の対決も見ものです。

 

三顧の礼 ゆるキャラ 孔明

 

(しょく)劉備(りゅうび)は、どのようにして軍師・諸葛亮(しょかつりょう)を仲間に引き入れたのでしょうか。驚きの知略とともにお伝えしていきます。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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劉備が来ても会わなかった!?

天下三分の計

 

劉備(りゅうび)に天下を取らせようと語った「天下三分の計(てんかさんぶんのけい)」。耳にしたことのある読者もいるでしょう。しかし、諸葛亮(しょかつりょう)の賭けは劉備と会う前から始まっていたのです。

 

卑弥呼 HMK48

 

仮にあなたが限定販売されている人気アーティストのグッズが欲しかったとします。限定なのでインターネットで抽選となりました。残念ながら落選してしまいました。

 

おとぼけ

 

すると、オークションサイトでグッズが出品されていないか探し回るでしょう。

 

おとぼけ

 

この時点で、あなたの商品に対する期待感やリッチ度が高まっているのです。これと同じ状況を諸葛亮は1800年近く前に行っています。

 

3000人の配下で孔明の庵を包囲する武闘派な劉備

 

それが「三顧の礼(さんこのれい)」です。手始めに諸葛亮は部下を劉備へ派遣します。部下は諸葛亮の名前を巧みに出し、偉大な計略をもっているとほのめかします。当時、人材不足に陥っていた劉備は喉から手が出るほど軍師を欲しがりました。

 

悪い顔をしている諸葛亮孔明

 

しかし、部下はこう回答します。「雲の上の人物だから、私が間に入っても応じてくれませんよ」ここで劉備の中で諸葛亮のレア度がいっきに高まります。つまり「もし、来れるなら配下に加えよう」という軽い状態から「そんなにすごい人なのか」という印象に変化します。

 

孔明

 

本当に粗末な家に住んでいた諸葛亮ですが、一回目で安々と会うようでは価値が下がるとして劉備に顔すら見せません。足しげく通う劉備ですが、二回目も諸葛亮には会えません。

 

いよいよ劉備は何としても諸葛亮に会いたくなりました。ついに諸葛亮は三回目で劉備に対面するのです。この時の劉備の心境は宝くじに当たったような状態です。

 

孔明インタビュー

 

さらに天下三分の計を披露し、劉備を権力者にしようと誘います。単に呉や魏が邪魔だなと感じていた程度の劉備は途端に目が覚めます。敵と対峙する前にしっかりと地盤を固めるように勧められたからです。

 

 

孔明VS曹操

 

そのうえで()と組み、()曹操(そうそう)を倒す。こうして天下を三つに分ければ、戦乱も落ち着くと諭すのです。すでに劉備の心は諸葛亮に操られていました。

 

 

 

琴の弦で攻撃した!?

北伐する孔明

 

第一次北伐。すでに劉備は蜀の地を得ていました。この頃になると諸葛亮も戦地へ赴くようになります。そこで出迎えたのが魏の司馬懿(しばい)、15万の大軍です。一方で城に残っていた諸葛亮軍は、たったの2千。

 

城の前を掃除する孔明

 

大軍でもって少数を攻撃するのが当時の兵法でしたから、このままでは負けは確実です。そこで諸葛亮がとった行動が城門を開け、周りをきれいに掃除しておくことでした。さらに敵が来ても物音を立てないよう2千の兵のすべてに伝令します。

 

城の前を掃除する孔明

 

自信満々でやって来た司馬懿。敵のいる城のメインゲートは開かれ、物音一つしない状況に不気味さを感じます。

 

司馬懿

 

さらに諸葛亮は城門の上で優雅に(きん)を奏でる始末。普通の人なら何から企んでいると考えるでしょう。聡明(そうめい)な司馬懿であれば、なお気味悪がったはずです。

 

チビってしまう司馬懿と孔明

 

さらに琴を弾きながら、弦を切った諸葛亮。ただの緊張からの失態だったのですが、司馬懿は攻撃の合図と勘違いし全軍に撤退を命じます。あとで空城の計と知った司馬懿は心底悔しがったとのことです。

 

北伐の真実に迫る

北伐

 

 

自らの死も戦略だった!?

司馬懿対孔明

 

五丈原の戦い(ごじょうげんのたたかい)で再び相まみえた司馬懿と諸葛亮。孫権(そんけん)の援軍も空しく、諸葛亮軍は五丈原から撤退を開始します。

 

過労死する諸葛孔明

 

実はこの時、諸葛亮はすでに亡くなっていました。戦では大将の死を隠す傾向がありますが、司馬懿は確証を得られませんでした。

 

孔明と司馬懿

 

司馬懿は撤退する諸葛亮の軍を追いかけるものの、劣勢と思っていた諸葛亮軍は急に反撃の姿勢を見せます。”もしかして諸葛亮の死は罠ではないか”と疑った司馬懿は追撃の手を止めます。

 

孔明

 

世にいわれる「死せる孔明生ける仲達を走らす」です。仲達(ちゅうたつ)とは司馬懿の別名、孔明(こうめい)は諸葛亮を指します。

 

孔明と司馬懿

 

偉大な人物は死してもなお、その影響力を及ぼすという意味で現代でも使われています。そして、司馬懿は諸葛亮を「天下の奇才」と称えたのでした。

 

 

三国志ライター上海くじらの独り言

三国志ライター 上海くじら

 

諸葛亮にまつわる逸話を3つほど紹介しました。他にも祈祷によって風向きを変えたとか、考えられないようなエピソードもあります。

 

孔明 東南の風

 

おそらく天文学の知識を持っていたことから発展した逸話でしょう。世界広しといえども諸葛亮ほど多くの名言を残した人物は他にいないかもしれません。

 

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上海くじら

上海くじら

三国志との出会いは高校生の頃に読んだマンガの三国志。 上海留学中に『三国志演義』の原文を読む。 また、偶然出会った中国人と曹操について語り合ったことも……。 もちろんゲームの三国無双も大好きです。 好きな歴史人物: 曹操、クリストファー・コロンブス 何か一言: 覇道を以って中原を制す

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