読んでいると次はどんな展開が待っているのだろうとページを繰る手が止まらなくなりますよね。
しかし、その終末にガッカリしてしまった…という人は少なくないのではないでしょうか。
なぜなら、結局は魏・蜀・呉のどの国も天下統一の志を果たすことができず、魏の臣下であった司馬懿がクーデターを起こしたことによって成った晋が中華を統一したのですから…。
曹爽との権力争いに打ち勝って晋の礎を築き上げた司馬懿。
しかし、もしも曹爽が司馬懿を下していたらいったい歴史はどのようになっていたのでしょうか…?
今回は曹爽が司馬懿との権力争いに勝っていたらどうなっていたのか、そんな世界を妄想してみたいと思います。
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この記事の目次
熾烈な権力争いを繰り広げた曹爽と司馬懿
まずは曹爽と司馬懿の権力争いについておさらいしておきましょう。
曹爽は曹叡すなわち明帝から寵愛を受けていた人物で、明帝が崩御して曹芳が即位した後には帯剣して靴を履いたまま昇殿することを許されるなどの特権を与えられるほどになりました。
一方の司馬懿も蜀の諸葛亮による北伐を防ぎきり、
遼東に陣取っていた独立勢力である公孫淵を掃討するなどの活躍を見せていたため、魏において絶大な権力を持つようになっていました。
曹爽は最初の頃こそ司馬懿を父のように慕っていましたが、何晏らにそそのかされて権力を独占したいと考えるようになります。
曹爽は司馬懿を名誉職という名の閑職に追いやって司馬懿の権力を巻き上げようとしました。
しかし、相変わらず軍事に関しては司馬懿が握っていたために曹爽の思い通りにはなりません。
そこで曹爽は自信の力を誇示すべく蜀に遠征するのですが大失敗。
何晏も正体をあらわして政治を独占しはじめ、魏の国内は乱れ始めたのでした。
病気であると欺いて曹爽を下した司馬懿
なんだかやけくそになってきた曹爽一派。
この状況を見ていた司馬懿は罪を擦り付けられるなどして暗殺されるのではないかという不安に駆られ病だと偽って家に引きこもることにしました。
しかし、曹爽は仮病を疑って司馬懿の元に李勝を派遣。
ところが司馬懿は一枚上手でわざと薬をだらだらとこぼして見せたり李勝の言葉を聞き間違えたりして耄碌爺を演じて見せたのでした。李勝の報告を聞いて曹爽はすっかり安心。
ある日、曹爽は曹芳と共に明帝の墓参りに出かけました。この機を逃さなかったのが司馬懿。
司馬師及び司馬孚に命じて洛陽を制圧し、曹爽を降伏させて監視下に置くことに成功します。
しかし、司馬懿は曹爽を生かしておいてはくれず、謀反を企んでいたとして一族郎党を皆殺しにしてしまったのでした。
血縁を遠ざけていたために乗っ取られた魏
曹爽の敗因は一体どこにあったのか?
それは、曹丕の時代にまで遡ります。
曹丕は実の弟である曹植と仲が悪く、クーデターを起こされることを恐れて身内を遠方に封じたり軍事から遠ざけたりしていました。曹爽もまた曹丕の考えを受け継いでいたようで、相変わらず身内を冷遇していたため、曹家が団結することはなく…。
結果、団結力が勝る司馬家に国を乗っ取られてしまったのです。
もしも曹爽が勝っていたら曹家は安泰だった?
身内を遠ざけていた結果、司馬氏にしてやられた曹爽ですが、もしも司馬懿を退けることに成功していたら、魏は安泰だったのでしょうか?
おそらくそれは難しいことだったと思います。
曹爽が身内を冷遇したまま司馬氏を下すことができていたなら、相変わらず曹爽は身内を遠ざけ続けていたでしょう。
結果、司馬懿のように身内の団結力が強い人物が現れれば遅かれ早かれ魏は滅んでいたと考えられます。
また、曹爽を司馬懿と争うように焚きつけた何晏も曹爽が司馬懿を排除した後には掌を返して魏を乗っ取ろうと画策していたかもしれません。このように魏には憂いとなる要素が多かったため、曹爽が心変わりをして身内の待遇を改善するようなことでもない限り魏の滅亡を免れることはできなかったでしょう。
三国志ライターchopsticksの独り言
司馬懿との権力争いに敗れた曹爽ですが、もし曹爽が権力争いに勝利していたとしても、魏に明るい未来が訪れていたとは考えにくいでしょう。
しかし、司馬懿が礎を築いた晋は身内を優遇しすぎた結果、滅亡しているわけですから、魏が身内を優遇していれば長期政権を築けていたと一概に言うこともできません。
歴史の「if」を考えるにはあらゆる要素を加味しなければなりませんから、いやはや、難しいものですね。
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