袁術が玉璽を手に入れたから魏晋王朝へ伝わった?孫堅は玉璽を隠し続けた?


玉璽

 

始皇帝(しこうてい)が作った玉璽(ぎょくじ)

 

光武帝(劉秀)陰麗華

 

この玉璽は前漢王朝(ぜんかんおうちょう)から王莽へ伝わり、王莽から後漢王朝の創始者・劉秀(りゅうしゅう)へ伝わります。そして後漢王朝の首都・洛陽(らくよう)董卓(とうたく)に焼かれ、玉璽の行方は不明になってしまいますが、洛陽復興を行った孫堅の手に渡ります。

 

玉璽 三国志

 

孫堅(そんけん)が手にしていた玉璽は三国志のはちみつが大好きな袁術の手に渡ります。もしこの時袁術が玉璽を手にしていなければ、魏王朝に渡っていなかったかもしれません。

 

自称・皇帝
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玉璽を奪い取る袁術!!

玉璽を見つけた孫堅

 

袁術は孫堅が洛陽復興を行った際、洛陽の井戸の中から玉璽を見つけた事を知ります。そこで袁術は孫堅から玉璽を奪うため、孫堅の奥さんを人質に取って孫堅を脅迫。

 

怒る袁術

 

孫堅は袁術の脅迫を受けて怒りますが、玉璽を袁術へ渡して妻子を助ける事を優先しました。袁術は孫堅から玉璽を奪い取って上機嫌になり側近へ「やったぜ!!玉璽ゲットだぜぇ」と叫んだとか叫ばないとか。

 


 

仲帝国を作り出す!!

玉璽に興奮する袁術

 

袁術は玉璽を手に入れることに成功し、皇帝になる野心を逞しくしていきます。袁術は本拠地・南陽に兵糧が亡くなってきたため、曹操の領土へ侵攻を開始。

 

袁術

 

だが袁術は曹操軍の軍勢にコテンパンにやられてしまい、寿春まで逃げます。袁術は寿春まで逃亡する事で何とか命拾いをし、寿春一帯で力を蓄え、勢力を拡大。袁術は予言書に書かれている「漢に代わるものは当塗高である」と言う予言が自分にあてはまると信じ、玉璽を掲げて皇帝へ就任。

 

袁術

 

袁術は皇帝へ就任すると国号を「仲」とし、公卿を置き帝国として組織を作り出していきます。


 

袁術死す!!

袁術をバカにする曹操と呂布

 

袁術は帝国を作り出したことで、呂布軍の攻撃を受けてボコボコにされてしまいます。更に袁術は曹操軍にも攻撃を受けて壊滅的なダメージを追ってしまい、寿春を捨てて逃亡。

 

袁術の最後

 

袁術は従兄弟である袁紹を頼って逃亡している途中、血を吐いて亡くなってしまいます。この時袁術は有名な「この俺がハチミツすら食べれず、亡くなってしまうだと!!」と捨てゼリフを吐いたそうです。


  

 

 

玉璽はどこへ?

袁術

 

袁術が手にしていた玉璽は、彼の死後どこに行ったのでしょうか。玉璽は徐璆(じょきゅう)と呼ばれる人物が握っていました。彼は袁術に配下になれと誘われていましたが、拒否したため寿春に(じゅしゅん)抑留されてしまいます。

 

汚職政治と闘う徐璆

 

徐璆は袁術が寿春城から逃亡した事を教えてもらうと、袁術が住んでいた豪勢な後宮へ侵入して玉璽を奪い取ります。

 

徐璆

 

徐璆は玉璽を握り締めて寿春の城を脱出すると、後漢王朝の皇帝が住んでいる許へ向かい玉璽を送り届けます。こうして玉璽は色々な群雄の元を巡りながら、再び後漢王朝の皇帝の元へ帰ってくることになります。

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

袁術から再び後漢王朝の皇帝の元へ帰った玉璽。その後玉璽は再び旅へ出ることになります。玉璽は後漢王朝から魏王朝へ皇位が譲られた際、魏王朝初代皇帝・曹丕(そうひ)の手に移ります。

 

三国志を統一した司馬炎

 

玉璽は魏王朝の皇帝へ代々受け継がれていきますが、魏王朝の権力が弱まると司馬家が強大になっていきます。そして司馬家は魏王朝の後を継いで王朝を開くと玉璽も司馬家が開いた晋王朝の初代皇帝・司馬炎(しばえん)がゲット。

 

女性に溺れる司馬炎

 

玉璽は秦に作られ、歴代王朝の皇帝の元を経由し、三国時代を終わらせた晋王朝の物になります。ついでにこの玉璽ですが、異説があります。

 

孫堅

 

それは孫堅が袁術へ玉璽を渡していなかったのではないかという説です。

 

呉の勢力を率いる孫策

 

もし上記の説が正しいのだとすれば、孫堅から孫策(そんさく)孫権(そんけん)と玉璽が受け継がれ、その後も歴代孫呉の皇帝が玉璽を保有し、孫呉のラスト皇帝・孫晧(そんこう)の時代まで受け継がれていたことになります。

 

呉を立て直す孫休

 

玉璽は古代から天命を頂いた者が保有している物という決まりがあるので、もし上記の説が正しいのであれば、正統な王朝だったのは後漢王朝でも魏王朝でもなく、孫呉だったということになります。ちょっとした異説ですが、火のない所に煙は立たぬので、孫堅がずっと玉璽を保有し、孫策、孫権と受け継がれていた可能性もあるのかもしれませんね。

 

■参考文献 正史三国志魏書など

 

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