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関羽が現在に転生したら適職は何になる?

2019年8月22日


 

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最近は転生モノのライトノベルが大人気です。特徴(とくちょう)としては、現世ではつまらない人生を送る平凡な人が、事故や殺人事件などで異世界に転生。

 

 

スピリチュアルにハマる光武帝

 

 

異世界ではチートな人物に生まれ変わるという展開が多いみたいですね。では、逆に過去に名を残した英傑(えいけつ)が21世紀に生まれ変わったら一体、どんな仕事についていたのでしょうか?

 

 

関羽、劉備、張飛の桃園三兄弟

 

 

今回は、桃園(とうえん)三兄弟の一人である関羽(かんう)について考えてみました。

 

 

関連記事:荊州の統治は難しかった?蜀の荊州対策を関羽の性格から考察!

関連記事:本当に関羽は馬忠が討ち取ったのか?赤兎馬がつなぐ運命と馬忠の真実

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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そもそも関羽の性格は?

桃園3兄弟

 

桃園三兄弟の一人として劉備(りゅうび)を支え、現在では神様として知名度では、劉備を上回る関羽は、実際にはどんな性格だったのでしょうか?正史三国志を書いた陳寿(ちんじゅ)は、関羽の性格について張飛と併せて大体、以下のように論じています。

 

 

関羽と張飛は、二人揃って万人敵と称され虎のような武勇を持つ将だ。関羽は曹操の恩義に手柄で報いて、張飛は義を重んじて厳顔を赦し、二人とも揃って国士の風があった。しかし関羽の性格は剛直でプライドが高く、張飛は暴力的で温情に薄くその性格の欠点によって敗北したのは運命というものだろう。

 

正史三国志蜀書関超馬黄趙伝

 

陳寿(晋)

 

 

これを見ると関羽は恩を忘れないで、それにちゃんと報いる人だけどあまりに剛直すぎて、プライドが高い所が欠点であり、その欠点ゆえに身を滅ぼしたのだから、これも運命だろうと言っています。

 

 

 

関羽の傲岸不遜エピソード

激怒する関羽

 

三国志演義では、信義に厚い人として描かれる関羽ですが、正史三国志では、強いが故に誇り高く傲岸不遜(ごうがんふそん)で周囲に敬遠される様子が、正史三国志には随所に出てきています。

 

①劉備が漢中王になり、黄忠(こうちゅう)を後将軍とし関羽を前将軍で同列にすると手紙を送ると、「老いぼれの黄忠と俺が同列とは納得いかん」と文句を言った。

 

関羽

 

 

②関羽が樊城を攻めている頃、麋芳と士仁は物資を補給していたが、その後方支援が全力ではないと関羽の怒りを買い「還ったら処罰してやるからな」と叱りつけた。これを恐れた麋芳と士仁は呉の調略に乗り関羽を裏切った。

 

関羽

 

 

③孫権が荊州南郡を任された関羽と友誼を結ぼうと婚姻を持ちかけると関羽は激怒、使者を罵倒して婚儀を蹴飛ばし、孫権はこれを恨んだ。

 

孫権に激怒する関羽

 

 

こうしてみると、関羽のちょっと行き過ぎたプライドの高さが分かります。若い頃はそうでもないですが、晩年には謙虚さや寛容さが足りなくなり弱点と化したのでしょう。

 

樊城の戦い特集

 

 

おだてに弱い関羽のエピソード

酔っ払う関羽

 

一般に誇り高い人は、そのプライドを満足させてくれる言葉や行動に弱いです。関羽にも「この人、手の平で転がされてんなぁ」という逸話があります。

 

①劉備軍に馬超(ばちょう)が加入した時、荊州の関羽は孔明に「馬超ってどの位凄いの?」と手紙を出した。諸葛亮は、関羽の誇り高い性格を知っていたので、「ヒゲ殿には及びません」と返答し、嬉しくなった関羽は、手紙を客人に見せびらかした。

 

関羽

 

 

陸遜(りくそん)呂蒙(りょもう)に代わり陸口に駐屯した時、陸遜は関羽を油断させるために自分を卑下し関羽を褒め称える手紙を連続して出した。関羽は、それを読んで大いに安心して陸遜への警戒心を解いた。三国志呉書陸遜伝

 

関羽に手紙を送る陸遜

 

 

こんなにおだてに弱い人っている?と思うほど関羽はおだてに弱いです。②は陸遜が無名の若造だった事もあるのでしょうが、それにしても、見ず知らずの男が自分をベタ褒めしてくるのはオカシイと疑問を持ちそうなもんですが、、

 

 

関羽が現代に転生したら、何が適職?

父・関羽とともに亡くなる関平

 

そんな関羽が現代に転生したら、なにが適職なのか考えてみました。しかし、kawausoが考えても分かる筈もないので、ネットの無料適職診断サイトを使い関羽になりきって診断します。

 

それによると関羽の適職は、IT技術職、一方で編集や製作職が向いているようです。

おお!編集や、制作職ならkawauoと同じようなジャンルですね。

 

 

 

ライターの記事を校正して厳しくネチネチ言う関羽、、これは怖い、ちょっとkawausoは関羽の下では働きたくないです。

 

 

あまり合致しない?適職診断サイトが下す関羽の性格

関羽と周倉

 

 

適職サイトによると、関羽の見どころとマイナスポイントは以下でした。

 

・関羽のチャームポイント

 

①礼儀正しく自己主張せずに協調性を持って他人の為に働く

②人の気持ちを理解しようと努め、控えめで遠慮がち人のアドバイスや意見を聴く

③真面目そうなので社会の上位の人の評判が高く上品な印象を与える。

④忍耐強い性質で、はしゃぐこともなくおとなしい。

⑤好き勝手をせず、周りとの調和を考え人間関係のトラブルを嫌う

⑥気品があり、社交的に地位のある人と付き合い、徐々に評価があがり才能開花

⑦長期戦、持久戦に強く集団の仕事に向く

 

なんか、傲岸不遜でプライドが高いという関羽の性格にあまり合致しないような・・でも①は曹操(そうそう)に捕まった後も、張遼(ちょうりょう)の説得に応じて投降し、結果、劉備の元に戻れた事や③④の真面目そうや忍耐強いは関羽の為にある言葉とも言えますし、⑥の気品があるも、士大夫階級ではないのに周囲に重んじられた点に合致します。

 

関羽の青銅像

 

 

関羽の性格の欠点は、晩年に多く出ているので、若い頃も勘案(かんあん)するとこんな風だったかも知れませんね。では、そんな関羽のマイナスポイントを見てみると、、

 

・関羽のマイナスポイント

 

①好奇心や情報感度がなく、視野が(せま)くて感情表現が乏しい

②人間関係の波風を避けようとしすぎて萎縮しやすい

③興味や希望を絞りすぎ、挑戦心がなくなり、目標や夢が小さい。

④主体性と行動力がなく、現状を変えられない傾向がある。

⑤自分が無く、誰かの意思にいつも従ってしまう一面がある

⑥特に権力者に弱く、人の命令に振り回される。

⑦悲観的で劣等感を持ち、外見よりもずっと暗い性格。

⑧ストレス解消が下手で、不平不満を言いがち、急な反発や反抗をする

 

これも当てはまらない点が多いと思いきや、①は、人間的に厳しい人で喜怒哀楽が顔に出ない点や、視野が狭く外交下手で孫呉の離反を招いた点が共通します。

 

 

③は将来性が分からない劉備についてきて、何十年も見限らない点④は劉備と何十年も根無し草で放浪していた時期に当てはまります。⑦悲観的で劣等感を持ち、外見よりもずっと暗い性格や⑧ストレス解消が下手で不平不満を言い、急な反発や反抗をするは晩年の関羽のコンプレックスの裏返しにも見えます。

 

 

三国志ライターkawausoの独り言

 

転生した関羽の適職は、IT技術職や編集、製作のような真面目で忍耐強く集団をまとめる事が出来る人におススメの仕事でした。皆さんは、関羽の適職についてどう思いますか?よろしければ、コメントでお聞かせ下さい。

 

参考:正史三国志

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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