孫和とはどんな人?文武両道だけど最後はとっても悲惨な貴公子


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孫和

 

孫権(そんけん)の皇太子・孫登(そんとう
)
は人に優しい人物でしたが、若くして亡くなってしまいます。そのため孫権は新しい皇太子を孫和(そんか
)
に決めます。この孫和ですが一体どのような人物だったのでしょうか。

 

今回は孫和について紹介していきたいと思います。

 

自称・皇帝
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孫和ってどんな人?文学に秀でた人物

文学に秀でた孫和

 

孫和は文学に秀でた人物でした。孫和は孫権から気に入られ、闞沢(かんたく)薛綜(せつそう
)
など孫呉の中でも優秀な人物を先生として付けられます。孫和は彼ら優秀な先生から文学について学習。

 

その結果孫和は豊富な知識を身につけることになります。孫和は豊富な知識を身につけたおかげで、頭の回転が良く物事をしっかりと見極める力を備えることになります。しかし孫和はただ文学に秀でた人物だけではありません。性格もチョーいい人でした。

 


孫和とはどんな人?家臣にもやさしく、パパを心配する穏やかな性格

 

孫和は性格もチョーいい人物でした。孫和は先生となった闞沢や薛綜を尊敬。更に孫和は相談役として付けられた家臣達にも親しく話をして、心を込めて接していたそうです。

 

そして孫和は孫権の事を心配する親孝行者でした。ある時孫権の家臣が呉から寝返り、呉の領内へ魏の将軍を迎え入れようと画策。孫権は呉の将軍が寝返った事を知り、彼を罰した後、魏の軍勢を迎撃するため自ら兵を率いて伏兵を行います。

 

孫和は孫権自ら軍勢を率いて出陣した事を知ると孫権へ「父上!!危ないですから慎重な行動を取ってください」と幾度も父へ忠告。孫権は息子の言う通り、慎重な行動を取って魏の軍勢を撃破することに成功します。孫和は孫権が勝利をして戻ってきたことを知ると、父が無事に帰ってきたことをとっても喜んだそうです。

 

このように孫和は家臣にやさしく、父を心配するとっても優しく穏やかな人物でした。孫和はこのように優秀な人物でしたが、悲惨な結末を迎えてしまいます。


二宮の変に巻き込まれて皇太子から格下げ

孫権の娘が大喧嘩 孫魯班、孫魯育

 

孫和は自分の母親が自殺した後、孫権からあまり目をかけられなくなったことを察します。

 

孫覇

 

孫和の代わりに孫権から可愛がられるようになったのは、弟の孫覇(そんは
)
でした。孫覇は皇太子・孫和と同じ待遇を受けることになり、どちらが皇太子なのかわからない状況になってしまいます。

 

孫権に気に入られる孫覇

 

そのため孫和は、皇太子の位から格下げされるのではないかと不安を感じる毎日を過ごすことに。そんな孫和の不安を感じた陸遜(りくそん)吾粲(ごさん
)
達は孫権へ「皇太子と孫覇を同じ待遇にするのは良くありません」と訴えます。

 

孫権の後継者になりたい孫覇

 

しかし孫権は陸遜達の訴えを退けるばかりで、二人の待遇を改善しようとしませんでした。その後皇太子派と孫覇派に分かれて、派閥争いが開始。孫権は二人の派閥争いを見守るばかりで、具体的な解決案を示すことなく放置していました。しかし孫権は派閥争いが始まって数年後、いきなり孫覇を処刑し、彼らの側近達も殺害してしまいます。

 

更に孫和も皇太子の位から外され、王の位に格下げ。こうして孫和は何も悪い事をしていないのに、皇太子の位から引きずり降ろされてしまうのでした。


孫峻に言いがかりを付けられて殺害される

孫権の跡継ぎ9歳の孫亮

 

孫和は皇太子の位を外されてしまいます。そして新しい皇太子は孫亮に決定。孫権が亡くなると新皇太子・孫亮が皇帝として、君臨することになります。

孫和は孫亮の時代、王様として地方で平和に暮らしていました。

 

二宮の変に巻き込まれて皇太子から格下げされる孫和

 

孫和はこうして王様として暮らしていけるのかと思いきや、孫峻からいきなり言いがかりをつけられ、王様の証である印を取り上げられ、自殺するように命令されます。孫和は孫峻の命令を退ける事も出来ましたが、命令を拒否しないで、自殺してしまいます。最後の最後までかわいそうな孫和を紹介しました。

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

孫和は孫権の気まぐれのせいで皇太子の位から外されてしまい、最後は自殺することになってしまう可哀そうな貴公子でした。もし孫権の長男・孫登が生きていれば、孫和も平和に人生を全うすることができたでしょう。

 

また二宮の変も孫登が生きていれば起きることなく、孫呉の勢力を激減させることにもならなかったはずです。このように考えると孫登が孫呉の力を弱めることになるのか、それとも孫呉を栄えさせることになったのかの分岐点だったと言えるでしょう。

 

■参考文献 正史三国志呉書など

 

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