三国志は現在数多くのメディアで取り上げられていますが、その起源・大元は三国志演義になります。厳密にいえば、正史の三国志が本来の三国志であると個人的には思っているのですが、それを一つの物語としてリメイクしたものが三国志演義ですので、こちらを三国志の起源とみなす人も多いでしょう。
ただし、リメイク故、多少の脚色が含まれますが・・・。
今回は皆が知る乱世の奸雄、曹操に関する三国志演義で取り上げられているあり得ない脚色を御紹介します。
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この記事の目次
前提として、そもそもなぜ脚色している?
そもそも、なぜ脚色しなければならなかったのでしょうか。正史の三国志ですが、こちらは武将ごとにそれぞれの経歴を事実のみ書き連ねたものであって、物語という形式にはなっていません。
正史の事実を物語風に時系列に並べ、足りない部分の補完、不要部分の削除、その他作者の願望をまとめたものが、三国志演義となります。そのため、事実とは異なる点があると同時に、結末までを把握した上で物語を再構成していることになります(ここが重要かも知れません)。
ありえないフィクション・曹操と「槽を食む三頭の馬」
さて問題のあり得ないフィクションシーンです。
時は、曹操が死期を間近に病床に伏せていた時のことでした。病床に伏すまでの経緯は、魏呉蜀三国の戦いの中で、蜀は赤壁の戦いで荊州領を得ましたが、その後荊州督であった、劉備の義弟・関羽が呉により捕獲され打ち首となりました。
呉はその首を魏に送りつけ、関羽の死の責任を魏に押しつけました。長い付き合いもあり、曹操は関羽の為に葬儀を行いました。ところが、関羽の呪いか、はたまたそれまでの戦の心労からか、曹操が病に倒れました。
曹操が病床で見た不思議な夢!?
その時の曹操の年齢は60代にまで達しており、当時では高齢でした。高齢な上に戦の心労もあり、日頃からストイックな生活をしていた曹操の病状は日に日に悪化していました。そんなある夜のこと、曹操は夢を見ました。その夢の中では・・・、
『三頭の馬が一つの槽(餌置き場、飼い葉を置くための桶)の餌を食べていた・・・。』
夜が明け、目を覚ました曹操は不思議に思い、魏の参謀の賈詡を呼び問いました。
「余は三頭の馬が、一つの槽の餌を食う夢を見た。ここでの槽は我が名「曹」の字と同じであり、この夢は余がこれまで築きあげたものを三頭の馬が食べ漁り、台無しにすることを意味するようにも読み取れる。
しかし、余に逆らった馬騰の一族(馬騰、馬休、馬鉄)はすでに始末しておる。にもかかわらず昨夜、三頭の馬の夢を見たのだ。これをどう読む?」
夢の謎を紐解く賈詡だが・・・
それを聞くと、賈詡は馬にちなむめでたい話を説明しました。
「これは吉兆で御座います。その夢に現われた馬は、福禄のある馬、『禄馬』と申します。しかも禄馬が三頭も一つの槽、つまりは我が君の元に集まったのですから、これほどの吉兆は中々お目にかかれないでしょう。」
曹操はその説明を聞いて納得し、それを信じて疑わず、それ以上この夢に関して考えることはありませんでした。
その後曹操は死に、三国の戦いは尚も続きますが、魏では司馬の一族に簒奪され、晋が誕生しました。この晋が、三国の戦いに終止符を打つこととなります。
司馬一族である司馬懿・司馬師(長男)・司馬昭(次男)達、つまりは三頭の馬が曹操の支配する朝廷内にいたにも関わらず、曹操は気づくことはありませんでした。
後の人が詠った詩
後世の人は、上記のエピソードからこのような詩を作ったと言われています。
三頭の槽を同にするは 事疑うべきも
すでに晋の根基を植うるを知らず
曹瞞空しく奸雄の略あり
あに朝中の司馬師を識らんや
【訳文】
三頭の馬がともに曹の禄を食む夢は、疑うべきことであったのに、曹操は後の晋の基盤が既に根を張っているのに気付けませんでした。曹阿瞞、人を騙す瞞の名を持ちながら、奸雄の戦略にも隙があったのでした。
なぜ彼は自身の支配する朝廷に司馬の三馬がいることに気付かなかったのでしょうか。
いくらなんでもできすぎでは?
なるほど、確かに司馬一族は、「馬」の字ですし、槽は「曹」の字であり、夢の内容とも合致しますので、三頭の馬は後に魏で簒奪を行う司馬一族の三人を示していたのでしょう。
・・・しかし、本当に曹操がこの夢を見ていたとしたら、相当なエスパーな気がします。当時の時点で簒奪を行う気配もないだろうし、曹操ならば次の代(後継者、曹丕の代)で少しまずいかも・・・ぐらいは考えたかもしれませんが、それを夢に見るというのはいくらなんでもできすぎな気がしますね。
この意見には私見もあり、個人的な意見でもはや「ライターの独り言」で書く内容とは思いますが、しかし客観的に見てもできすぎているのではないでしょうか。
三国志ライターFMの独り言
既に書きましたが、フィクションができすぎな気がします。
おそらく、著者が三国志演義を執筆した時点で結末が分かっていたため、その結末を暗に示した前フリ、伏線として描かれたシーンと考えられます。随分と直球な伏線ですが・・・。
ただ、このシーンは見方によっては色々と見えてきます。
まず一つに、曹操も賈詡も司馬の謀反に気づけず、後の簒奪は防ぎようがなかった運命のようにも読めます。一方では夢の話から賈詡が全てを悟ったものの病床の曹操に話すに忍びなく、また自身ではどうにもできない等の理由で、築き上げた栄光が将来崩れてしまう曹操の運命を憐れみ、憂いを残して死に臨むぐらいならば、と前向きな説明でとぼけた、等々です。
現実的に考えると、なんとも無理があるのですが、色々と考えると面白いです。
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