三国時代の「もっとも遅れてきた英雄」羊祜!もっと早く生まれてきてほしかった!

2020年1月16日


 

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孔明と劉備、関羽、張飛

 

三国志の物語も、曹操(そうそう)が亡くなり劉備(りゅうび)が亡くなり、ついに五丈原で諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)も亡くなると、もはや終盤戦という様相になってきます。もっとも率直なところ、孔明死後の展開については、多くの人が興味を失ってしまうのではないでしょうか?

 

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志(本)

 

ですが、この三国時代最終版の時期に登場する武将の中にも、逸材と考えられる人物は複数います。そういう人たちについては、「もしもっと早く生まれていたら、三国志の展開に、もっと深く絡めていたかもしれない」という意味で、何かと「遅れてきた英雄」という称号がつけられてしまいます。

 

蜀の姜維

 

たとえば、姜維(きょうい)。典型的な「遅れてきた英雄」と言えるでしょう。その姜維が一目おいていた鄧艾(とうがい)は、さしずめ「もっと遅れてきた英雄」というところでしょう。

 

殺害される姜維と鍾会

 

ところが、それよりもさらに遅い時期、もはや蜀漢が滅亡し姜維も鄧艾も亡くなった後になってから活躍する逸材も存在するのです。さしずめ「もっとも遅れてきた英雄」。その一人が、呉の征服に多大な貢献をした将軍、羊祜(ようこ)です。

 

自称・皇帝
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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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敵兵からも絶大な人気!三国時代を通じても随一の人望の高さか?

羊コ 羊祜 魏と晋

 

この羊祜とは、どのような人物だったのでしょうか?

 

所属は晋王朝。司馬炎(しばえん)の部下となります。曹一族に甘く司馬一族に厳しい羅貫中(らかんちゅう)も、この羊祜については、惜しみなく「第一級の人物」であることを示すエピソードを『三国志演義』の最終版に多数盛り込んでいます!

 

羅貫中も認めた羊祜の「人徳者ぶり」を拾ってみると、以下のような感じです。

 

・襄陽の守りを固めて呉ににらみをきかせていた時、呉の側から投降してくる者が出ると、無条件で投降を許し、どんどん自軍に加えていった

・それだけではなく、いったん投降した者が「やっぱり呉に帰りたい」と言っても、それも許してしまっていた!

・「どんだけ寛容なんだ!」ということで、けっきょくは大量の投降者が呉の側からやってきた

 

投降者に寛大な人物というだけなら、他にもたくさんいますが、再投降すら気にせずおおらかに許可し迎え入れていたというのは、破格のエピソードではないでしょうか!

 

もっともこれについては、三国時代の情勢も最終的に煮詰まっており、晋が呉を滅ぼすのも時間の問題という背景があってこその羊祜の「心の余裕」のおかげもあったのかもしれませんが。三国志が一番熱い時期には「投降したところで許されるのか殺されるのかは相手の将軍の気分しだい」という緊張感があったことを思えば、なんという違いでしょう!

 

地元の農民たちに迷惑はかけない!兵士たちにとらせた自給自足体制!

羊コと会話で盛り上がる辛憲英 羊祜

 

他にも羊祜は、実に近代的な発想で自分の軍を運用しています。

 

たとえば、

・守備の兵士数はきちんと固めつつも、手が空いてしまっている兵士たちには土地の開墾をさせていた

・最終的には10年分の兵糧を自給自足できる体制を確立し、長引く戦況の中でも土地の農民に対する迷惑を最小限にした

というエピソードがあります。

 

このあたりも、三国志が一番熱い時期には、農民を人とも思わないような態度をとっていたキャラクターが大勢いたことと比較すると、なんという違いでしょうか!

 

特に注目すべきは陸抗との友情!

羊コと信頼の関係を築く陸抗(りくこう) 羊祜

 

そんな羊祜の人柄をもっとも象徴しているエピソードは、呉の側の指揮官、陸抗(りくこう)との友情でしょう。

 

・羊祜の部下がどれだけ「今、呉を攻めるべき」と言っても、羊祜は「敵の指揮官が陸抗のうちは手を出すな」と厳しく戒めていた

・羊祜が陣をしいている間の余暇に狩猟をしていたところ、陸抗もたまたま狩猟をしていた。そのとき決してそこで小競り合いにならず、獲物を交換しあったりして仲良くやった

・「羊祜は酒が好き」ということを聞いた陸抗が酒を贈ってきたが、ありがたく受取、毒見もせずに楽しんだ。「陸抗ほどの人物が毒殺などをしかけてくるわけがないから、大丈夫だ!」という理屈

・その後、陸抗が病気になった時、羊祜が薬を煎じて贈った。「羊祜が毒などをしかけてくるわけがないから」という理由で、陸抗もまた、安心してその薬を飲んだ

 

なんだかほのぼのとするようなエピソードです。

これも

「〇〇殿は信頼できる人だから大丈夫じゃ」と敵将を信用しすぎて、けっきょく計略に嵌めらてしまう人も多かった、三国志の一番熱い時期と比較すると、なんという違いでしょうか!

 

まとめ:ぜひとも羊祜VS陸抗の頂上決戦は見てみたかった!

陸抗

 

このような不思議な友情で結ばれ合っていた、羊祜と陸抗。残念ながら双方、それぞれの理由で早世してしまい、晋と呉の最終決戦は杜預と孫晧の対決に持ち越されてしまいます。もっともその戦いも、正確には、杜預が孫晧を圧倒して終わり、呉が情けないほどの崩壊を見せてしまうという結末ですが。

 

姜維と一緒に戦う鍾会

 

蜀漢の滅亡時に、姜維と鄧艾・鍾会の対決という側面があったように、呉の最期についても、もう少し華のあるライバル対決があってもよかった!

 

三国志ライター YASHIROの独り言

三国志ライター YASHIRO

 

そう考えると、互いに認め合っていた羊祜と陸抗がついに正々堂々と最終決戦をする、というのが三国志の最終話にふさわしかったかもしれず。どのみち呉が負けるにせよ、最後にぜひ、羊祜と陸抗のガチの決戦を実現してほしかったと思うのは、私だけでしょうか?

 

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鍾会特集

 

 

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