英雄の最期はハッピーエンドに終わるもの。ドラマやマンガならば、そうなるかもしれませんが、史実は悲惨な終わり方が多いものです。例えば陸遜。彼は蜀(221年~263年)の初代皇帝劉備を夷陵で破ったりして、輝かしい功績を挙げますが、晩年は不遇に終わります。
今回は正史『三国志』をもとに陸遜の最期について解説します。
※記事中のセリフは現代の人に分かりやすく翻訳しています
「陸遜 最期」
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皇太子 孫登の死
赤烏4年(241年)に呉(222年~280年)の初代皇帝孫権の皇太子である孫登がこの世を去りました。孫登は親の孫権が間違っていたら意見するところもあり、皇太子として立派な人物でしたが33歳の若さで亡くなったのです。
すぐに新しい皇太子を立てねばいけません。孫権の次男の孫慮は嘉禾元年(232年)に亡くなっていたので、三男の孫和を新しい皇太子に立てました。母は王夫人です。
しかし孫権は四男の孫覇を皇太子にしたいのが本心でした。だが、孫覇は母親の身分が低かったので、到底皇太子になれるはずがありません。そんな時にある人物が、孫権と手を組みました。
王夫人VS全公主
やって来たのは孫権の娘の全公主。「孫魯班」「全魯班」とも言いますが全公主が有名なので、この記事では全公主で通します。母は歩隲の一族、最初の夫は周瑜の息子の周循(死別)。2番名の夫は全琮です。呉の家臣の一族に様々な影響力を持った人物でもあります。
全公主は以前から王夫人と非常に仲が悪かったので、彼女の息子が皇太子になるなんて許せません。
そこで全公主と夫の全琮、一族の歩隲、孫権の寵臣である呂岱などは、孫覇の支持に回ります。孫権もいずれは孫覇を後継ぎにするつもりだったので、彼らの言う通りして皇太子派の攻撃を開始。
陸遜の悲劇と死
実はこの事件で悲劇的な終わり方をしたのが、呉の丞相の陸遜でした。その顛末はこうなっています。顧雍の孫の顧譚という人物がいます。彼と陸遜は親戚関係です。陸遜と顧譚は孫覇が皇太子とケンカ、しかもオヤジの孫権が孫覇の肩を持っている光景を見ていられません。
孫和は皇后が生んだ子、孫覇は名前も分かっていない妾が生んだ子。正統性ではどちらが有利なのかはすぐに分かります。皇太子はとっくの昔に決まっている話です。すぐにやめさせようと思った顧譚は孫権に注意しました。
ところが、これが孫権の怒りに触れてしまい顧譚は張昭の息子の張休・張承と一緒に交州まで流されて、そこで生涯を終えることになります。また、張休も自害させられました。一方、陸遜は吾粲という将軍から詳細に手紙をもらっており、首都の様子を伺っていた。陸遜は孫権に手紙を送って「会って話がしたい!」と何度も訴えました。
孫権はもちろん陸遜の要求は無視!それどころか、陸遜と連絡をとっていた吾粲は孫覇と手下の楊竺により逮捕されて殺されます。今度は孫権が陸遜に次々と手紙を送りつけました。読んだ陸遜はショックを受けたらしく、間もなくこの世去ってしまいました。63歳の生涯でした。
ケンカ両成敗と孫権の謝罪
その後、孫和は幽閉されてしまい皇太子は孫覇に決まる・・・・・・予定でしたが、部下が一斉に反対運動を起こして孫権に対して攻撃開始。
追い詰められた孫権は孫覇を皇太子にすることをやめました。また、騒動の発端である孫覇に対しても自害を命じました。陸遜の息子である陸抗に対しても孫権はお詫びをします。
「変な言葉を信じて君のお父さんを死に追いやったことを、本当に申し訳ないと思っています。私がお父さんに送った手紙は焼き捨ててくれないか・・・・・・」イジメをして、相手が自殺をしたら調子よく謝ってくるタイプですね・・・・・・
父親を死に至らしめた相手の要求なんてのむ必要なんてありません。しかし不思議なことに陸抗は了承してくれました。現在、孫権が陸遜に送ったという手紙の内容については中身を確認することは出来ません。
三国志ライター 晃の独り言 孫権が目指したかったこととは?
以上が陸遜の最期についての話でした。孫権は晩年になるにつれて、部下と一緒に考えて行動していくことが減っていき、ワンマンプレーが目立つようになります。孫権が目指したのは呉の有力名家である呉の四姓(朱・陸・顧・張)を政権から除き去り、自身の一族だけで経営を行う昔ながらの会社運営の政治をしたかったのでしょう。
孫権の目指した政治は、彼の存命中に確立されることはありませんでした。この体制が確立するのは呉の最後の皇帝孫晧の時でした。
※参考文献
・高島俊男『三国志 人物縦横断』(初出1994年 後に『三国志きらめく群像』ちくま文庫 2000年)
・渡邉義浩『三国志 演義から正史、そして史実へ』(中公新書 2011年)
・渡邉義浩『「三国志」の政治と思想 史実の英雄たち』(講談社選書メチエ 2012年)
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