鄴攻めの最終目標である鄴城、名将王翦でさえも、力攻めをして落とす事は出来ないと即断するような要塞でした。しかし、漫画ではあまり触れられていませんが、鄴からそれほど離れていない場所には、趙の都である邯鄲があるのです。
しかも、この邯鄲、過去に秦軍による1年の包囲を受けながら陥落しなかった程の堅城でした。今回は知られざる邯鄲の名城ぶりを解説したいと思います。
キングダムファン向け:キングダムに関する全記事一覧
関連記事:キングダム630話ネタバレ予想vol3「蒙武に活躍予定はあるの?」
関連記事:キングダム630話ネタバレ予想vol2「秦王政は最期まで暴君にならない!」
この記事の目次
キングダム630話ネタバレ予想vol2「南北に分かれた巨大な城塞都市邯鄲」
邯鄲は、紀元前386年趙の4代君主の敬侯の時代に首都になりました。
邯鄲は華北平原を貫く二本の大道、すなわち、韓や魏、燕を貫く、南北の街道と、斉と秦の都を結ぶ東西の街道の交わるポイントにあり、物資の集積地として必然的に経済が発展する場所だったのです。
そして、邯鄲はその城壁のエリアも特殊な形をしていました。
邯鄲城は一つではなく、庶民や手工業者が住む大北城という東西3キロ、南北4.5キロの広さを持つ都市と、その南西に位置する東城、西城、北城と呼ばれる趙王城という王や貴族が住む都市に別れていたのです。
この趙王城エリアの東城、西城、北城はちょうど漢字の「品」という形をしていて、それぞれが一面を接しつつ城壁に取り囲まれていました。もっとも大きい西城の城壁の一遍の長さは、1.4キロもあり、その中央部には東西265メートル、南北285メートル、高さ19メートルの龍台と呼ばれる王宮の基礎が残っています。
文字でその位置関係を表すと
ロ
品
こんな感じでした。
趙王城の西城が趙王の住まいでキングダムの時代には、ここに高さ三十メートルの宮殿が聳え、基盤の高さを合わせると函谷関の城壁の高さに匹敵する巨大な宮殿が城壁の外からもありありと見えた事でしょう。生活用水についても問題なく趙王城のエリアには、渚河という河が流れ込んでいて、大北城には、沁河という河が流れ込んでいました。
キングダム630話ネタバレ予想vol2「地下道で繋がり秦を翻弄した邯鄲」
紀元前260年、秦の白起は長平で趙軍40万を撃破しほとんどを穴埋めにする大勝利を挙げ、ほとんど守備兵が消えて丸裸になった邯鄲を包囲しました。
趙は絶体絶命の亡国の危機に陥りますが、白起の名声がこれ以上上る事を恐れた秦の宰相の范雎が、趙を滅ぼそうとする白起を押しとどめ、趙と和睦してしまいます。
天才肌の白起は、これに怒って総大将を下りてしまい昭襄王は、総大将を王陵と交代して邯鄲の包囲を続けさせます。趙王は恐れて、公子の平原君に対し楚へ向かい援軍を求めるように命じ、平原君は義士、毛遂を含めた30名の決死の徒を引き連れて邯鄲を出たと史記には書かれています。
しかし、周囲は秦の兵士で蟻の這い出る隙間もない程に包囲されているのに、どうして平原君は楚に向かう事が出来たのでしょうか?
史記には、何の記載もありませんが、これは邯鄲には地下道があり、南と北とは地下道を通じて往来できた事を示しているのだと考えます。平原君もその地下道を通り、楚に向かう事が出来たのでしょう。
キングダム630話ネタバレ予想vol2「邯鄲に地下道があったもう一つの証拠」
実は、邯鄲に地下道があった証拠がもう一つあります。
紀元前258年、秦の包囲は一年以上続き、庶民は食糧が尽き武器も木の棒を削った槍程度しかなく、お互いの子供を交換して殺して食べる程になっていました。
そこで、兵士の一人の李同という男が贅沢に暮らしている平原君を詰り、こんな時こそ、王族が命を懸けて国の為に何かすべきだと説いたので、平原君は分かったと了承し倉庫を開いて、食料と金銀財宝を放出したので、兵士の士気は戻ったと記録されています。
ところが、すでに説明した通り庶民は大北城というエリアに住んでいて、平原君のような貴族が住む趙王城とは別々になっていました。
そうでありながら、平原君が放出した金銀や食料を受け取れるという事は、地下道を通って、食料や金銀が趙王城から北の大北城に移動したという事しか考えられません。邯鄲は、地下道で2つの城が緊密に結びついていたのです。
キングダム630話ネタバレ予想vol2「秦は疲れ果てて撤退」
平原君の食糧と金品の放出で潤い、士気が回復した大北城では、李同が決死隊3000名を募り城を開いて秦軍に突撃を繰り返しました。これには秦も驚いた事でしょう。
子供を交換して食べる程に飢えが進み、武器と言えば木を研いだ槍しかない大北城から目を血走らせた決死隊が飛び出してきたからです。
包囲が一年も続いた秦兵は戦に飽きて士気が著しく低下していて、持久戦以外には打つ手がなくなっていました。そこで、もうじき降伏すると見ていた大北城からの決死隊となれば、余計に士気が落ちるのは避けられませんでした。
こうなった状態で、楚の春申君、さらに魏の信陵君が援軍として到着すると、邯鄲を包囲していた王齕は撤退を決め、太行山脈に分け入り汾城の郊外に待機していた秦軍と合流しました。補給線が伸び切った秦は、巨大な邯鄲城を一つも陥落させる事が出来ずに、撤退する事になったのです。
キングダム630話ネタバレ予想vol2「王翦も力攻めしなかった邯鄲」
その邯鄲が再び陥落の窮地に陥ったのは、紀元前229年、秦の王翦と楊端和、羌瘣が攻めこんできた時です。この時、趙は李牧と司馬尚を派遣して防戦に務めましたが、秦は趙の幽繆王の寵臣である郭開に賄賂を贈って、李牧が謀反を企んでいると讒言させ、李牧と司馬尚を排除し代わりに将軍になった趙葱と斉将顔聚を王翦に対峙させます。
しかし、王翦はこれをあっさりと撃破し邯鄲も陥落して、幽繆王は捕らえられたとあります。邯鄲に籠城されたら、すぐには落ちませんから、これは王自ら開城させたか、郭開が城門を開くように命じたのではないかと思います。
このように邯鄲は、折角の防御力を駆使する事なく、自ら開城して王翦の軍門に下ったのです。
キングダム(春秋戦国時代)ライターkawausoの独り言
このように、鄴に負けず劣らず邯鄲も防御力に優れた城でした。
特に東城、西城、北城が一面を密着させて、「品」の形を取った趙王城は連携もやりやすく、高い防御力を誇った事でしょう。
関連記事:キングダム630話最新ネタバレ予想「信の生き返り方を考える」
関連記事:キングダム最新629話ネタバレ「信の夢」レビュー考察