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キングダム「王翦と王賁の関係は史実でも険悪?」

2020年2月17日


 

王翦

 

大人気春秋戦国時代漫画キングダム。こちらの漫画、バトルばかりではなく親子の愛憎(あいぞう)や上司と部下や、男女の恋愛模様も入るのですが、なかでも王翦(おうせん)王賁(おうほん)の親子関係は、読者をもハラハラする内容になっています。でも、王翦と王賁は史実ではどんな関係だったのでしょうか?

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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史実では共に戦う二人

王賁

 

漫画においてはギクシャクする二人ですが、史実においてはおよそ正反対のようです。紀元前226年、王賁は、燕の王都(けい)を攻めていますが、大いに兵士を集めて、王翦の軍勢に(もう)でるとあります。

 

実は、この時、父である王翦は、燕を攻めあぐねており、王賁の援軍を受けて燕を平定することに成功しました。つまり燕攻めは王翦と王賁のワンツーだったのです。これを見ると、現在のような親子のギクシャクは見受けられません。険悪な間柄だと、このような親子で一つの国を攻めるのは難しいでしょう。

 

春秋戦国でも親子共に戦うのは珍しい

嬴政(始皇帝)

 

そもそも、春秋戦国時代でも、親子で将軍になるくらいならまだしも、同じ戦場で共に将軍として戦うというのは珍しいです。もうひとりのエリート蒙恬(もうてん)蒙武(もうぶ)蒙驁(もうごう)と共に軍を率いたケースがありません。親子で軍を率いらせるのは、親子共々、秦王政から絶大な信頼を受けていた可能性がありますし、それ以上に王翦と王賁の関係が良好であり、共に作戦を指揮させても問題ないと考えられていたのでしょう。

 

また史記には、さらに重要な記述があります。燕を落とした後に、王翦は病を理由に隠居を願い出ているのです。その翌年には、王賁が魏の王都大梁(たいりょう)を水攻めして、魏を滅ぼしていますから、王翦の隠居は、王賁が家督を継ぐのを前提としたものと言えます。ここには、立派に成長した息子の雄姿を見届けてから引退を決意するパパ王翦の心情までが読み取れるのです。

 

史実の二人には、実の子がどうのとか、そういう雰囲気は見受けられません。

では、どうしてキングダムにおける両者はギクシャク設定なんでしょうか? 

キングダムの親子喧嘩は前フリ

同年小録(書物・書類)

 

キングダムにおける史実とは正反対描写、しかし逆にこう考える事も出来ます。王翦と王賁はギクシャクしていたが、燕攻めで王翦が苦戦している状態の時に、王賁が兵士を徴発して、救援に向かい見事に王翦を救う事により、親子関係が円満に解決するという伏線です。

 

確か、(ぎょう)攻めでは馬南慈(ばなんじ)に奇襲された王翦を王賁がわずかな手勢で救援して、冷たく役に立たないと言い放たれ叱責(しっせき)された事がありました。王賁は何も言いませんでしたが、その言葉を胸に、さらに軍略を磨き、燕攻めで窮地に陥る王翦を救うのでしょう。なんだかんだで、王翦は迂闊(うかつ)な所と過剰に人フンな部分がありますから、今後も、なんだかんだでポーカーフェイスで大ピンチは起きそうです。

 

また、王賁は独自に兵を徴発しているとも読めるので、この時点ではすでに大将軍であり、自らの判断で援軍を出したと解釈する事も可能です。それを見て取った王翦が、もう王氏の家督を王賁に譲っても大丈夫と考えて、一旦は世代交代が起きるわけです。

 

王翦復帰して楚を滅ぼすもまた王賁にタッチ

 

一度はリタイヤするも、李信が楚の項燕(こうえん)に大敗したので、秦王政は、またしても王翦を呼び戻します。しかし、60万の大軍で楚の地を平定した後は、再び隠居し、紀元前222年には、再び、王賁が前面に出るようになります。

 

そしてそのまま王賁は、最後に残った斉を滅ぼし中華を統一してしまうのです。やはり、王翦は息子の王賁を完全に信頼しており、一刻もはやく隠居したかったのでしょう。そして、この後、王翦も王賁にも活躍の描写はなく、二世皇帝の時代には王翦と王賁はすでに死んでおり孫の王離の時代になっている事が告げられるのです。

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