関羽パニックに学べ!現代に通じる情報分析の重要さ

2020年3月22日


 

疫病が流行った村

 

世界的に拡大する新型伝染病コロナウィルス。NHKの3/20日付のwebニュースでは主要国の新型コロナウィルス感染者数は18万人、死者は8945人です。この感染者数の増大を受けて、各国とも治療と予防対策に全力を注いでいますが、SNSの普及により、明らかなデマによるトイレットペーパーの買い占めや、イベント自粛も相次ぎ経済に深刻な打撃を与えています。

苛ついている曹操

 

このようなパニックは三国志の時代にも起きていました。それが、曹操(そうそう)遷都(せんと)も考えさせた関羽(かんう)による樊城(はんじょう)の戦いです。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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遷都しなきゃ!曹操のパニックは何故起きた

五虎大将軍の関羽

 

西暦219年、荊州南郡を支配する関羽は、北上して樊城の曹仁(そうじん)を攻めます。

 

曹操、ホウ徳、于禁

 

それを知った曹操は、于禁(うきん)の七軍を派遣して対処しますが、8月、長雨で漢水が決壊して舟を持たない于禁の軍勢は水没し関羽に降伏、関羽は樊城と襄陽(じょうよう)を包囲しました。これを知った曹操は、関羽が間もなく樊城と襄陽を落とし、(きょ)に迫るであろうと恐怖します。そして、献帝を奪われない為、遷都しようと言い出すのです。しかし、いくらなんでも、まだ樊城で曹仁が頑張っているのに曹操の諦めは早すぎ、さながら関羽パニックです。一体、どうして曹操は冷静な判断力を失ったのでしょうか?

 

遠隔地にいる事が曹操の判断を狂わせた

赤鎧を身に着けた曹操

 

パ二クって遷都を口走った曹操ですが、実は根拠地である鄴にはいませんでした。先年の秋7月より、劉備を討伐するために漢中に向かっていたのです。

長安(俯瞰で見た漢の時代の大都市)

 

しかし、曹操が9月に長安に到着するやいなや、10月、(えん)の守将、侯音(こうおん)が叛いて南陽太守を捕らえて宛城に立て籠もる事件が発生。西暦219年の正月に曹仁が宛城を陥落させ侯音を斬りますが、間もなく夏侯淵(かこうえん)が陽平で劉備(りゅうび)と戦い定軍山で戦死しました。

 

法正に敗れる夏侯淵

 

怒った曹操は3月に長安から斜谷に出て陽平に至り劉備と対峙しますが、劉備は堅く守って出ず、曹操は兵糧の不安から5月に長安に帰還します。そして7月に曹仁を救援すべく于禁を派遣し、この于禁の軍が漢水の氾濫で関羽に降伏したのです。

 

頭痛に悩む曹操

 

曹操は、于禁敗北の情報を遠く離れた長安で聞き、現場の雰囲気を知りません。おまけに重臣夏侯淵の戦死と格下と見下していた劉備に手も足も出ずに失意のうちに長安に退却した事が重なり、冷静な判断力を欠いていたのです。

 

日々の生活を工夫で楽しくする『三国志式ライフハック

三国志式ライフハック

 

于禁の敗北は天災であり関羽の力ではない

異議ありと叫ぶ司馬懿

 

ですが曹操の下には、複雑に絡まった事象を落ち着いて分析できた二人の部下がいました。司馬懿(しばい)蔣済(しょうさい)です。二人は関羽の力を過大評価する曹操に以下のように進言します。

 

于禁と兵士

 

「于禁の七軍は漢水の氾濫(はんらん)で水没しただけで関羽に敗れたのではありません。我が軍が敗れたのではなく、国家の威信が傷ついたのではありません。また劉備と孫権は外顔は親密であっても内実は絆が弱く関羽が領地を拡げる事を孫権は間違いなく願っておりません。

 

人を遣って、孫権に関羽の背後を打つように勧め、江南を割いて孫権を呉王にすると誘えば、樊城の包囲は自ずと解けましょう」

 

曹仁

 

ここで曹操はハッと目を見開いた事でしょう。于禁は漢水の氾濫で被災しただけで、戦って関羽に敗れたのではない、曹仁は負けてなく樊城も襄陽も今でも関羽の攻撃に耐えている事に気が付いたのです。曹操は進言を容れ改めて徐晃を救援に向かわせます。ここから4カ月後西暦220年の正月に関羽は敗れ孫権に斬られるのです。

死期を悟る曹操

 

それから間もなく曹操も病死していますから、もし、司馬懿と蔣済の進言がなければ、遷都途中で曹操は死に、魏の危機はより深刻化したでしょう。

 

リスクは一緒くたにしてはいけない

kawausoと曹操

 

曹操は最初、夏侯淵の死や自身の敗北、于禁の関羽への降伏という個別無関係な事例を一緒くたにしていました。それが関羽の力を過大に感じさせ、遷都という現時点では合理的ではない判断に繋がったのです。しかし、司馬懿と蔣済に于禁の敗北は関羽の力ではなく、天災だと指摘されて、自分が複数のリスクをごっちゃにして恐れていた事に気づかされたのです。

大学と東京五輪の連携学生の通訳ボランティア いだてん

 

例えば、新型コロナウィルスの報道も、イタリアやアメリカのように感染者と死亡者が急増している国の情報を受けると不安になりますが、キスやハグや握手が挨拶の国と、日本のように会釈(えしゃく)が挨拶の国では、濃厚接触の程度も違い、もちろん医療環境も違います。

 

 

これらの国の違いを無視して、日本もイタリアやアメリカ並みに感染者や死者が出ると考えるなら、それは曹操と同じ誤りを犯す事になるでしょう。厚生労働省の発表では、2020年3月19日の統計で国内感染者は943名、国内死亡者は33名です。その事を踏まえ手洗いやうがい、外出時にはマスクをつける、睡眠を十分に取り免疫を落とさない等、個々人が感染予防をするのが過剰なパニックを防ぐ方法ではないでしょうか?

 

三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

掛川市・袋井市病院企業団立中東遠総合医療センターのサイトによると2020年3月時点で新型コロナウィルスについて分かっているのは以下の事です。

 

・80%の患者は軽症で自然に治る風邪と一緒です。

・致死率は2~3%と報告されていますが、中国武漢市に比べて周囲都市や他の国では低い致死率となっています。

・ヒトからヒトにうつります。

さらに、重症化する年代は50代以上で1.3%、60代3.6%、70代から80代で8.0%と高齢になるほど感染すると重症化しやすいようです。新型コロナウィルスは、正しく恐れパニックに陥らないようにしましょう。

 

参考文献:正史三国志

参考データ:厚生労働省(外部リンク)

参考データ:掛川市・袋井市病院企業団立中東遠総合医療センター(外部リンク)

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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