曹操は時の皇帝(献帝)をないがしろにしつつも、殺すことだけはありませんでした。この点は、息子の曹丕も同じでした。三国志序盤の悪役である十常侍も、大量に王朝の官僚や有力政治家を殺害していますが、皇帝にだけは手をかけませんでした。
董卓ですら、少帝を廃位に追い込んで追放したものの、さすがにおおやけには手を出していません。
直接皇帝を毒殺した嫌疑がかけられているのは、董卓の懐刀の李儒です(董卓自身が命令を下したかどうかの証拠は、見事に残していません。ある意味、李儒は律儀な忠義者です)。
となると皇帝殺しという巨悪を自分の手で遂行した李儒は、三国時代の大悪党として名高い十常侍や董卓よりも強烈な汚名を残していると言えるのではないでしょうか。
そもそも李儒には、皇帝殺害以外にも黒いウワサが多すぎます。李儒こそ、三国時代の悪人としては筋金入りのネームといえるのではないでしょうか。ところが、そんな李儒がもし墓場から亡霊として蘇ることができるならば、「その評価には納得がいかない!」と叫ぶのではないでしょうか?
「地味なために目立っていないが、おれよりも白昼堂々と皇帝を殺害し、しかもその罪を人になすりつけてしゃあしゃあとしていた奴がいるぞ!あいつこそ、三国志最大の巨悪だ!」と。誰のことでしょうか?
「賈充 悪人」
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この記事の目次
三国志でも突出した悪人?賈充(かじゅう)をめぐる黒すぎるウワサ
それは、魏が滅亡し晋王朝に権力が移るにあたって、司馬一族の懐刀として重要な役割を担った人物、賈充です。さしもの李儒も、少帝が都から追放されひっそりと暮らしている頃合いをみはからって、こっそり暗殺に踏み切ったわけですが、賈充は白昼堂々と、自分の目の前で皇帝を刺殺させています。
そのうえ賈充は、ちょっと司馬昭に怒られたくらいで、けっきょく罪を問われることもなく、大出世を遂げています。おまけに、賈充はあまりにも登場が遅いので、よほどの三国志ファンでないと彼の名前を憶えていないくらいに、地味なキャラクターなのです。
三国志のゲームなどで登場した場合は、「英雄たちが死去した後の年代に登場する能力値の高い人材」くらいの印象になっているのではないでしょうか。
「あれほど悪辣なことをしているのに、俺ほどには嫌われていないって、なぜ?」と李儒が怒るのも無理はありません。
冷酷すぎる賈充の手腕!「曹髦事件」と「成済事件」の二連鎖!
それにしても皇帝殺しに身を染めておきながら、どうして賈充はその後、順調に大出世ができたのでしょうか?
実は賈充は、さまざまな手を打って、見事に皇帝殺害から責任から身を守っていたのです。まず賈充がやったことをおさらいしてみましょう。
・時の皇帝曹髦が司馬昭に対して反乱を起こした際(まぁ、皇帝が司馬昭に対して挙兵したことを反乱と呼ぶのかどうか自体が微妙ですが)、その反乱を予見したらしく、「ウェルカム」な涼しい顔をして、兵を準備して待っていた
・曹髦がみずから剣を抜いて抵抗した際、部下の成済(せいさい)という人物に、「今日のことは、あとから咎められないように俺がはからってやるから!やっちまえ!」と言って、皇帝を刺殺させた
・司馬昭が帰ってきて、「皇帝を殺害したのは誰だ!」と、しらじらしくも激怒した
・「はい、それは成済です」というのが賈充の回答
・あわれなことに、成済は三族まで皆殺しにされる極刑を受けることになった
・成済は「納得いかない」と(あたりまえな感想ですが)、屋根に登り、司馬昭と賈充への怨みと呪いの言葉を叫び続けた
・そこにどこからともなく矢が飛んできて、成済は射殺された
・そのあと、成済の三族も、予定通り冷酷に皆殺しにされた
李儒の亡霊は、この事件にどういう感想を抱くでしょうか?「ほら、部下をそそのかして手を下させておいて、そのあと堂々と見捨ててるぞ!俺よりも悪人じゃないか!」と主張するのではないでしょうか。
この一件についての司馬昭の嫌疑はいかに?
さらに李儒の亡霊は、「そもそも賈充と司馬昭はぜったいツルんでるぞ!間違いない!」とも、いうのではないでしょうか。確かに、おかしいことがこの事件のあと、いろいろと起こっています。
・「成済を処罰したなら、賈充も処罰しないといけないのでは?」と他の部下から忠告されても、司馬昭は曖昧な態度をとるばかりで、結局は賈充を無罪放免にしていた。成済に対してあれほどの極刑を課したにしては、不公平すぎて、おかしい
・結果としてはむしろ、皇帝殺しに関わった賈充を生涯、重臣として活用している。
こうして出世コースに乗った賈充は、司馬昭の死後においても、司馬炎に相談をされたとき「今こそあなたが皇帝になるべき時です」とアドバイスをすることで、皇位簒奪の背中押しをしています。この重宝ぶりはなんなのでしょう?
もしかしたら司馬一族の中でも、「邪魔な皇帝を始末する系の相談をするなら、賈充がいいよね!」というイメージができていたのでは?
「ほら、やっぱりツルんでる!」というのが、きっと李儒の亡霊の言い分。
「だってこの俺だって皇帝暗殺の時には董卓と事前にツルんで、あ、いや、なんでもない、ムニャムニャ」
まとめ:賈充の悪人ランクはどれくらい?あなたの判定は?
この賈充については、他にもいろいろと、後世の悪評から身を守るのに都合のよい事情が働いています。かの歴史書『正史三国志』が、晋の時代に編纂されたものなので、基本的に司馬一族やその重臣たちについて都合の悪いことは掲載しない方針だったとされているのです。
三国志ライターYASHIROの独り言
それゆえでしょうか。十常侍や董卓や李儒については堂々と悪事が書かれているのに、司馬昭や賈充あたりの時代の話は、どうも歯切れが悪い。
「賈充だってきっと俺たちと同格か、あるいはそれ以上の悪人に違いない!さあ、俺たち悪人列伝に加われ!」十常侍と董卓と李儒の亡霊が、賈充の亡霊に手招きをしているようです。
いったい賈充は、これら「三国志の極悪人たちに名を連ねるべき」ほどの悪人だったのか?皆様の判定はいかがでしょうか?
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