細川ガラシャとはどんな人?実はミーハーキリシタンだった?

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細川ガラシャとはどんな人(1P目)


ガラシャ忠興と別れたいと人生相談

kawauso

 

強情なガラシャに忠興は辛く当たり、5人の側室を持つと言い出すなど夫婦仲は冷えていきます。これに対しガラシャは宣教師に「夫と別れたい」と告白したそうです。

 

あれ?カトリックでは簡単に離婚できないと思うのですが、この部分をガラシャはちゃんと読んでいなかったのでしょうか?洗礼まで受けたのに、ずいぶんおっちょこちょいな所がありますね。でも、書物を通じての理解ですから、離婚について欠落した部分があったのかも知れません。

ルイス・フロイスの書き残した日本史

 

事実、宣教師はガラシャに「誘惑に負けてはならない」「困難に立ち向かってこそ徳は(みが)かれる」と説き思い留まらせています。ルイス・フロイスの書簡では、日本の女性は離婚に抵抗がなく再婚も当たり前と書かれていますが、ガラシャも、その意味では戦国時代の価値観で生きていた女性なんでしょうね。


西軍の人質になる事を拒否しボンバー死

何本も翻る軍旗と兵士(モブ)

 

慶長5年(1600年)7月16日、細川忠興は徳川家康に従い、上杉景勝(うえすぎかげかつ)討伐の為に会津(あいづ)に向かいます。その前に忠興は、もし自分の不在の折、妻の名誉に危険が生じたならば日本の習慣に従い、まず妻を殺し全員が切腹して我が妻と共に死ぬようにと命じていました。

 

細川忠興が出陣すると石田三成は、大阪玉造の細川屋敷にいたガラシャに人質になるように要求します。しかし、気丈なガラシャはこれを拒絶します。

石田三成

 

翌日、三成は実力行使に出て細川屋敷を包囲、家臣から全てを聞いたガラシャは少し祈った後で、屋敷内の侍女と婦人を全員集めて「我が夫が命じている通り自分だけが死にたい」と彼女たちを外に出し、自殺を禁じたキリスト教に従い、家老の小笠原秀清がガラシャを介錯して殺し遺体が残らぬように屋敷に爆薬を仕掛けて火をつけてボンバーマンしてしまいます。

爆死する松永久秀

 

ガラシャの辞世の句は「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ 」37年の短い生涯でした。まるで松永弾正(まつながだんじょう)のようなボンバー死を遂げたガラシャに三成はビビり、人質を天守に集める事を無暗に拡大しなかったようです。


ガラシャの死の異説

幕末 魏呉蜀 書物

 

しかし、ガラシャの自殺を禁じたキリスト教の戒律を守り家老に胸を槍で突かせたという話には異説があり、太田牛一(おおたぎゅういち)の「関ヶ原御合戦双紙(おかっせんそうし)蓬左文庫本(ほうさぶんこぼん)には、ガラシャが自ら胸を刺したとあり、河村文庫本ではさらに10歳の男児と8歳の女児を刺殺した後に自害したとあるようです。

 

同時代の「言経卿記(ときつぐきょうき)」慶長5年7月18日条にも「大坂にて長岡越中守(細川忠興)女房衆自害。同息子十二才・同妹六才ら母切り殺し刺し殺すなりと云々」とありガラシャが子供達2人を手に掛けて自害したと読める史料があり、さらに、侍女らが全員脱出したとの点に関しても慶長見聞集には「御内儀(ごないぎ)並び子息2人、供の女三人自害」とありと小笠原秀清以外にも殉死者がいたとの噂は広がっていました。

内容に納得がいかないkawauso様

 

でも、離婚がカトリックではタブーだとガラシャが知らなかった点や、通信教育でキリスト教を学んだ点を見ると、極限状態ではガラシャが教え込まれて身についた武士の娘としての作法で死を選んだ可能性もなくはないとkawausoは思います。


どうしてガラシャはキリスト教を信仰したのか?

人の心が分からない織田信長

 

離婚のタブーをしらなかったり、自殺したという異説もあるなど、おっちょこキリスト者な細川ガラシャですが、彼女はどうしてキリスト教の洗礼を受けたのでしょうか?

 

天正16年(1588年)2月にガラシャが有馬から大坂の修道長セスペデスに宛てた手紙には以下のようにあります。

 

武田が昨日朝、当地に参り、伴天連様、いるまん様方御動静を拝聞致しました。

喜びに堪えないことでございますが、とりわけ皆様全員が日本を御退却なさるものではないことを承り、私にとっても本当に喜びに堪えません。これによって、私も心に力を得て、いずれは当地方にもお戻りになり、御面接を賜ることもあろうかと希望を新たにしました。

私のことについては、伴天連様がご存知のごとく切支丹となりましたのは人に説得されての事ではなく、ただ全能の天主の恩寵により、私自らがそれを見出してのことであります。

たとえ、天が地に落ち、草木が枯れ果てても、私が天主から得た信仰は決して変わる事がありません。

以下略

 

朝まで三国志2017-77 kawauso

 

こうしてみると、ガラシャは人に勧められたのではなく、己の意志でキリスト者になろうと決意したようです。元々、キリスト者になる前のガラシャは、気位が高く気性の激しい性格だったのが、キリスト教の教えに出会ってからは、忍耐強く、謙虚で穏やかな性格に変化したそうです。ガラシャにとってのキリスト教は、それまでの性格を一変させるほどにインパクトがあったわけで、彼女が棄教(ききょう)しなかったのは無理もない事かも知れません。


戦国時代ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

ガラシャの死から数時間後、宣教師オルガンティノは細川屋敷の焼け跡を訪れてガラシャの骨を拾い、堺のキリシタン墓地に葬りました。

 

細川忠興はガラシャの死を悲しみ、慶長6年(1601年)にオルガンティノにガラシャの教会葬を依頼して葬儀にも参列、後に遺骨を大坂の崇禅寺(すうぜんじ)へ改葬したそうです。

 

キリスト者としての妻や侍女たちに過酷に対処した忠興ですが、ガラシャが死んでしまって誰にも妻を(はばか)る事がなくなり、初めて悲しみが(あふ)れてきたのでしょうか?

文章:kawauso

 

参考文献:宣教師フロイスが記した明智光秀と細川ガラシャ

 

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