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この記事の目次
- 1ページ目
- 2002年のNHK大河ドラマは加賀百万石がテーマ
- 利家とまつに登場する織田信長は反町隆史
- 若いころの前田利家は槍の又左衞門
- 茶坊主で信長の寵愛を受けた拾阿弥との関係性
- 2ページ目
- 利家の妻まつ「芳春院」は、2男9女を産む母親
- 史実でのまつ
- 織田信長との関係と前田家家督相続
- 森部の戦いにおいて勝手に参戦する前田利家
- 柴田勝家との関係と能登の城主
- 一向宗を1000人磔、釜ゆでにした記録が残る前田利家
- 3ページ目
- 時代ごとに異なる秀吉との距離感
- 上杉謙信に敗れる柴田勝家
- 本能寺の変から秀吉に従うまでと金沢入り
- 賤ヶ岳の戦いで柴田勝家と羽柴秀吉を対峙
- 秀吉に衣替えする前田利家
- 前田慶次(利益)との関係
- 4ページ目
- 秀吉政権下での活躍
- 秀吉亡き後の一時的な天下と利家の死
- 関ヶ原の後とまつの晩年
- 番外:利家とまつが築き上げた加賀百万石・金沢の現在
- 戦国時代ライターーSoyokazeの独り言
利家の妻まつ「芳春院」は、2男9女を産む母親
利家の妻まつは、1547(天文16)年に尾張国の沖島(愛知県あま市)に生まれました。父の名は篠原一計(:ドラマで史朗が演じる)。3歳の時に父を亡くしたあと、母の妹が嫁いでいる利家の父・前田利春に養育されました。つまり利家とは従兄弟にあたります。それが縁となり、利家の元に数え12歳のときに嫁ぎました。
史実でのまつ
史実としてのまつは、子宝に恵まれたことで有名です。嫡男で初代加賀藩藩主となる利長をはじめ、2男9女を産みました。一番最初に産んだのが後に利家の同族、ドラマでは辰巳 琢郎が演じた前田長種の妻・幸姫。これは、まつが満11歳11か月で生んだと伝わります。ちなみに幸姫は幼少期から成長に至るまで、複数の人物が演じました。そのほか豊臣秀吉の側室や宇喜多秀家と言った戦国の名だたる人物の元に嫁いだ娘たちがいます。
またもうひとりの男子が次男・前田利政は、能登七尾城の城主となるなど出世しました。しかし関ヶ原の戦いで西軍側についたため、所領が没収されてしまいます。ちなみにまつは、1617(元和3)年まで生きました。利家亡き後は、芳春院と名乗っています。
織田信長との関係と前田家家督相続
拾阿弥を殺害した利家は、信長により出仕を禁じられます。信長の性格や当時の雰囲気では成敗もあり得た事件ですが、柴田勝家らの取り成しで、出仕停止処分で住んだという背景がありました。
しばらくの間は浪人暮らしとなる利家ですが、転機となったのが桶狭間の戦い。まだ出仕解除ではなかったものの、圧倒的に軍勢の少ない織田軍に勝手に参加して、敵の首を3つも捕る活躍を見せます。しかしまだ帰参が許されませんでした。
森部の戦いにおいて勝手に参戦する前田利家
翌年に美濃の斉藤龍興と行われた森部の戦いにおいても利家は勝手に参戦。美濃方の武将足立六兵衛を打ち取ります。ドラマでは大八木淳史が演じた「首取り足立」との異名を持つ怪力の斉藤家重臣。これを打ち取った功績はさすがに大きく、ここでようやく信長の許しを得ることができました。
森部の戦いから8年後、信長からある命令が下ります。それは前田家の家督を継いでいた兄・利久にかわって前田家の家督を継ぐというもの。ドラマでは三浦友和が演じた利久は、武将としての器が無いと信長に見られて前田家の座が奪われます。ちなみに利久に実子はいませんでしたが、養子に慶次郎こと利益がいます。
柴田勝家との関係と能登の城主
利家は信長の家臣ですが、やがて織田軍団が大きくなるについて、信長の直々の家臣ではなく、重臣の柴田勝家の家臣として活躍するようになります。拾阿弥を殺害への取り成しなど、利家の面倒を見た勝家をドラマで演じたのは、松平健。ドラマでは利家とまつが「親父様」と呼んでいるほど親しい間柄です。
一向宗を1000人磔、釜ゆでにした記録が残る前田利家
1574(天正2)年に勝家の与力として越前の一向一揆の鎮圧に従軍。利家の活躍は一向宗を1000人磔、釜ゆでにしたという記録が残っています。そして佐々成政・不破光治と3人で10万石が与えられました。この頃は北陸方面への出陣が目立つ利家でしたが、信長の命により、摂津有岡城や播磨三木城への戦いに参加することもあり、勝家の与力でありながら、信長の直参として活躍する面も見せています。
そして1581(天正9)年になると、ついに信長より能登国を与えられ、国持ち大名になります。七尾城主23万石を拝領しました。ここは専門家の意見が分かれますが、このときを持って加賀藩が事実上成立したと解釈されることが多いです。
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