故事成語やことわざというものはその由来、生まれた経緯が面白く、それだけを読んでいても楽しめるのが魅力ですね。そんな故事成語はたくさんありますが、三国志の時代に生まれた故事成語もまたたくさんあります。
今回はその中から「髀肉之嘆」の由来や経緯をご紹介しましょう。
この記事の目次
知っておかねばならない劉玄徳
さて髀肉之嘆の説明の前に知っておかなければならないのが劉玄徳、つまり劉備について。
劉備は三国志を代表する英雄の一人であり、蜀の皇帝です。しかしそんな彼が成功したのは三国志もだいぶ終盤、彼自身も年を取ってしまってから。若い頃は仲間たちと各地を放浪したことも、この「髀肉之嘆」についての重要な情報の一つなのです。
髀肉之嘆が生まれるまで
その髀肉之嘆が生まれるまでの経緯、劉備の放浪歴を少し説明すると、公孫サン、陶謙、曹操、袁紹、劉表……と、劉備は数多くの人物の元を渡り歩いています。ただしこれも仕方のないこと。
劉備は地方に勢力を持てるような後援者、血縁者的な後ろ盾が殆どいなかったのです。そのため劉備の前半生と言えば放浪に次ぐ放浪、実はかなりの苦労をしてきた人なのですね。
劉表の元に来て
では髀肉之嘆が生まれた経緯について、劉備は曹操に敗れて荊州の劉表の元に身を寄せました。
この時に劉表は対曹操の最前線であった新野に劉備を置きますが、劉備としては初めて持てた(借り物に近いですが)土地、劉表はかなり劉備に良くしてくれたようで、ここで劉備は初めて日々を穏やかに過ごしていきます。
しかしそんなある日、トイレに行ってびっくり!もも肉がぶよんぶよん!やだ!わたしこんなに太ってたの……!?……とまあ、自分のもも肉についた贅肉に嘆いて劉表にその悩みをこぼしたのが「髀肉之嘆」の由来とされています。
皮肉……いや、髀肉之嘆とは?
ここでちょっと髀肉について説明を。脾肉というのは腿に付いた贅肉のことです。腿に贅肉が付くほど長く穏やかに過ごしてしまった、だけど自分は何も成し遂げていない、と劉備は自分の身を嘆いたことから髀肉之嘆と言われるようになりました。
これが転じて「大きなチャンスに恵まれず時間がたってしまったこと」「能力のある人物が力を発揮できないままでいること」を髀肉之嘆と言うのです。
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