三国志演義にはたくさんの架空武将たちが出てきます。今回はその中から実は二人出てくる、つまり同名の別人がいる穆順についてご紹介しましょう。
この内、片方の穆順は宦官、そういうと「どんな嫌な奴なんだ」と思うことでしょう。今回はそれも踏まえてご紹介しつつ、宦官についても少しお話したいと思います。
この記事の目次
呂布に斬られるための穆順(語弊)
さてまずはさらりとした穆順紹介を。この穆順は張楊配下の武将です。張楊は反董卓連合軍に参加しており、虎牢関を攻撃中でした。
ここで出てきたのが凄まじい武人としての能力を持った呂布!これに単騎で向かった穆順!一撃でやられて退場しました、終わり。いえ本当にこのくらいなので……この穆順はここまでに、次の穆順をご紹介します。
活躍する方の穆順
では宦官の方の穆順のご紹介です。こちらの穆順は後漢末期に出てくる人物、献帝の妃である伏皇后に仕えています。
さて宦官と言われるとこの時点では十常侍の印象が強く、何か良く分からないけど賄賂を貰って私腹を肥やしている悪人、というイメージが付いている人も多いでしょう、筆者もそうでした。しかしこの穆順、それまでの宦官のイメージを覆すような忠義心を持った宦官なのです。
伏皇后の密命を受ける
さて三国志演義のお話です。
献帝は曹操に頭を悩ませていました。そんな夫を何とかするべく、伏皇后、そしてその父親である伏完が動き始めます。
この際に曹操暗殺の密書を届けさせる役目を賜ったのが穆順です。穆順は忠義に厚い、信頼できる人物として派遣されます。そして伏完に密書を無事に渡して、返事を髪に隠して再び帰路につきます。
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