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穆順とはどんな人?呂布に単騎で迎え撃ち戦死するもタマが消えた理由

2020年10月3日


 

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三国志演義の作家 羅貫中

 

三国志演義にはたくさんの架空武将たちが出てきます。今回はその中から実は二人出てくる、つまり同名の別人がいる穆順(ぼくじゅん
)
についてご紹介しましょう。

宦官たち 

 

この内、片方の穆順は宦官(かんがん)、そういうと「どんな嫌な奴なんだ」と思うことでしょう。今回はそれも踏まえてご紹介しつつ、宦官についても少しお話したいと思います。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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呂布に斬られるための穆順(語弊)

張楊

 

さてまずはさらりとした穆順紹介を。この穆順は張楊(ちょうよう
)
配下の武将です。張楊は反董卓(とうたく)連合軍に参加しており、虎牢関(ころうかん)を攻撃中でした。

 

方天画戟を持つ呂布

 

ここで出てきたのが凄まじい武人としての能力を持った呂布(りょふ)!これに単騎で向かった穆順!一撃でやられて退場しました、終わり。いえ本当にこのくらいなので……この穆順はここまでに、次の穆順をご紹介します。

 

活躍する方の穆順

献帝

 

では宦官の方の穆順のご紹介です。こちらの穆順は後漢末期に出てくる人物、献帝(けんてい)の妃である伏皇后(ふくこうごう)に仕えています。

 

十常侍(宦官)

 

さて宦官と言われるとこの時点では十常侍(じゅうじょうじ)の印象が強く、何か良く分からないけど賄賂を貰って私腹を肥やしている悪人、というイメージが付いている人も多いでしょう、筆者もそうでした。しかしこの穆順、それまでの宦官のイメージを覆すような忠義心を持った宦官なのです。

 

伏皇后の密命を受ける

三国志演義_書類

 

さて三国志演義のお話です。

 

献帝を保護する曹操

 

献帝は曹操(そうそう)に頭を悩ませていました。そんな夫を何とかするべく、伏皇后、そしてその父親である伏完が動き始めます。

 

董承、曹操

 

この際に曹操暗殺の密書を届けさせる役目を賜ったのが穆順です。穆順は忠義に厚い、信頼できる人物として派遣されます。そして伏完に密書を無事に渡して、返事を髪に隠して再び帰路につきます。

 

【次のページに続きます】

 

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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