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この記事の目次
どうして秦宜禄は袁術の元に?邪魔者の排除?
それではここから杜夫人となった彼女こそが、呂布が愛した人妻ではないかと考えられる理由を一つ一つ説明していきましょう。まずは夫、秦宜禄の袁術の元での婚姻ですが、これは仕組まれたことではないかと思うのです。
この際に許汜らが袁術の元に救援要請に言っていますが、実は袁術と呂布はちょっと前に揉めたばかり。救援に乗り気でない袁術に呂布の娘を送るから婚姻関係を結びましょう!という条件で何とか救援要請を受諾させることとなるのですが、実際には曹操の包囲がきつくて娘を送り届けることはできませんでした。
しかし袁術も「娘を送るから婚姻関係を」と言われてもその瞬間に娘が来ている訳でないし、だったら今結べる婚姻関係を……ということで秦宜禄に白羽の矢が、となったのでは?
秦宜禄の妻である杜氏は美人で有名、その妻よりも自分の進めた相手を選んだ(ということにしたい)という袁術、そして杜氏の夫である秦宜禄が邪魔である呂布によって密かな契約があったのでは……というのはどうでしょうか?
噂以上の美しさ
そんな杜氏ですが、評判以上の美人であったことが記録に残されています。実は曹操の妻となった彼女、なんとあの関羽にまで望まれたほどの美しさだったのです!
夫と離れ下ヒに留まったままの杜氏、下ヒが陥落するとおそらく捕虜となったと思われます。この際に劉備配下であった関羽、曹操に「杜氏を娶りたい」と申し出た!関羽には甘い曹操、よしよし、と了承するも、悪い癖が出たのか「そんなに美人なのか」と興味を引かれて、杜氏の姿を確かめることに。
そうして美人だったと知るや否や、関羽の約束はどこへやら、しっかり自分の妻にしてしまったのでした。と、軽いノリでまとめましたが短い間に関羽も妻にしたいと思わせるような美女、そんな彼女に呂布も引かれていたのではないかと思うのです。
曹操にも愛された杜夫人
そんな経緯から杜夫人となった杜氏、彼女は夫である秦宜禄との間に息子が一人いました。この息子は母親が曹操の側室になったということでそのまま曹操に養育され、曹操自身も驚くほど可愛がられ、愛されることとなりました。これもおそらく、母である杜夫人に向けた愛の深さも影響していたのでしょう。
という風に曹操、関羽という名だたる武将たちに愛されることとなった美貌の婦人、杜氏。そんな彼女ならば呂布が「例え他人の妻でも……」と悪癖を出した人物であると予想するに足る人であると筆者は考えたのです。
数奇な運命の先
そんな数奇な運命を辿った杜夫人。彼女はその後、曹操との間に二男一女をもうけ、息子は曹叡の代まで寵愛されることとなりました。
正史では235年に息子、曹袞が死の床についた時に杜夫人は息子を見舞ったとあるので、おそらくその頃まで生きていたと思われます。数奇な運命をおくった彼女、己の美貌のために最初の夫と引き裂かれた可哀想な女性と見るか、それとも数多くの男たちを虜にしたファム・ファタールと見るかで印象が変わってきそうですね。
三国志ライター センのひとりごと
そんなかなり魅力的、面白い人物である杜夫人ですが、とても残念なことに三国志演義には出てきません。そこまで呂布にパートを避けなかったのか、その女性が曹操の妻になったので配慮したのかは定かではありませんが、貂蝉だけでなくこういった女性ももっと注目されて欲しいと思います。
彼女をサブヒロインとした短編……ちょっと面白そうだからどこかからか何かでないかな?なんて!
参考文献:魏書明帝紀が引く泰朗伝 魏書呂布伝が引く英雄記
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