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この記事の目次
歴史に名を残す堺の豪商
堺の豪商として湯川宣阿、池永宗巴、小島三郎左衛門、日向屋修理、尾和宗臨、呂宋(納屋)助左衛門、橘屋又三郎などが知られています。彼らは、さきほど出た貿易になんらかの形で関係していたと言われています。
中でも呂宋(納屋)助左衛門は、NHKのドラマにもなったのでご存知の方も多いでしょう。1593年にフィリピンのルソンから、輸入した壺が茶器として高く売れることで大きな財を得ました。
それで、呂宋助左衛門と呼ばれるようになります。贅沢三昧をしていたのを、秀吉から目をつけられ、カンボジアに逃げたと伝わっています。
堺と鉄砲
商人たちは、当時最新の兵器だった鉄砲に注目します。応仁の乱から戦国時代という戦乱という時代に、儲かる臭いをかぎとったのでしょう。まず、橘屋又三郎が、堺に持ち帰って職人たちと試行錯誤して、オリジナルの鉄砲作りに成功します。ただ、これはあまり性能が良くなく、とても高価なものでした。これに改良を加えて、大量生産をしたのが今井宋久です。
『武器の商人』今井宗久
豪商の中で最も有名なのが、今井宗久でしょう。『麒麟がくる』では陣内孝則さんが演じている、重要な人物です。
鉄砲の品質を良くして、さらに工程を数人に分担することで、大量生産をすることに成功します。これにより、価格はそれまでの3分の1ほどまで下がったと言われています。これが、もうバカ売れ。そしてさらに、鉄砲に使う火薬に注目して、両方を押さえることで、莫大な利益を生む構造を作りました。
また、それらを戦国大名などに売ることで、その兵力、戦が近いのかどうかというような様々な情報を得ます。宗久は、勝ちそうだと思う方により多く売りつけたり、自分たちをむげにするような大名には、売らなかったりと戦況を左右するような権力を持つようにまでなりました。
会合衆
堺の豪商たちは、その財力と権力を持って、町を自分たちで差配するようになります。それが、会合衆、または納屋衆・納屋貸衆と呼ばれる自治組織です。最初は10人でしたが、その後36人に増えます。これまで名前の挙がった人は、みな会合衆の1員です。彼らは、戦国大名たちから独立するために、堀で町を囲い、浪人を雇ったりなどして自主防衛をおこなっていました。
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