三国志演義にはたくさんの架空武将たちが存在します。
彼らは決してただ「正史にはいないよね」で流されるような人物たちではなく、多少破天荒なところはあってもかなり魅力的なキャラクターたちも多くいます(そうではない人もいます)。
今回はそんな架空武将たちの中から、南蛮王孟獲の妻、祝融夫人をご紹介しましょう。
この記事の目次
南蛮王孟獲の妻祝融夫人
正史にこそ登場しない祝融夫人ですが、彼女は三国志演義ではかなり印象深いキャラクターとして登場します。その登場は南蛮王、孟獲の妻として諸葛亮の南蛮平定で。
古代の神である祝融の末裔である(自称)彼女は、周囲からも祝融と呼ばれていました。もうこれだけでもかなり印象深いのですが、その登場が「不甲斐ない夫を見かねて自ら出陣」という勇ましい状況でのこともあって、最早掴みはバッチリ!
勇ましく気の強い女性として、読者に鮮烈な印象を残した瞬間とも言えるでしょう。
五連敗した孟獲にたまりかねて登場する祝融
因みにこの時の状況まだ「五回目」です。というのも諸葛亮は孟獲を七回捕らえて七回釈放してその心から服従させたことは有名ですが、この祝融夫人が出てきた時には既に五回捕まって五回逃がされた時の状況。
もうだいぶ心も折れてきている状況ですが、まだまだどうにかして戦おう……しかし一体どうすればと、孟獲たちは軍議を重ねても良い案が出てこない所に登場するのがこの祝融夫人です。祝融夫人としても夫を見ていられないというのが正直なところだったのか、自ら戦線に立ち戦います。
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赤兎馬に乗って馬忠と張嶷を生け捕る祝融
この祝融夫人、決して口だけではありません。その戦闘シーンは正に男性顔負け。薙刀を持っては振り回し、背中に背負った箱からは飛刀を取り出して遠距離攻撃、馬忠と張嶷を一騎打ちの末に生け捕るという一騎当千の活躍。
趙雲や魏延たちも、撤退に追い込み、馬に跨るその姿は正に女傑。ただしその馬はあの赤兎馬。
どうしてここでいきなり赤兎馬が出てくるのか一瞬言葉を失いますが、ともあれ彼女は蜀兵を相手に大勝利を収めます。繰り返しますがどうしてここで赤兎馬がいきなり出てくるのかは最期まで良く分かりません。
孟獲が馬忠と張嶷の処刑に待ったをかける
祝融夫人は、捕らえた馬忠と張嶷を士気を高めるために首をはねようとしますが、ここで待ったをかけるのは夫・孟獲。孟獲はこれまでに五回逃がされているのに、自分たちが捕虜をすぐに処刑するのはできないとして二人の命は繋がりました。
これは後に繋がり、諸葛亮が魏延たちに「駝鳥夫人」と祝融夫人を罵らせ、怒らせて深追いさせたところを捕獲。孟獲は二人と夫人を交換するようにして祝融夫人は無事に夫の元に返されました。
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