八王の乱とは?残念すぎる三国志の真の結末であり中国史上最も醜い争い

2020年11月26日


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八王の乱とは?(1P目)

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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何で八王の乱は起こったのか?

三国志を統一した司馬炎

 

こうなった一つの要因に、司馬炎の政策が失敗したことが考えられています。晋の前、魏では皇族に権力を握らせないようにした結果、有力な家臣であった司馬懿に実権を握られてしまいました。

 

 

悩む司馬炎

 

ということで一族を各地に置き、それぞれに一定の権力を持たせたのです。しかしそれが逆に司馬衷という権力が失われ、しかも自身でどうすることもできなくなった皇帝が生まれた際に「自分たちが奪い取れる」というような状態を作ってしまうことに繋がってしまったのです。

 

魏の皇帝になる曹丕

 

とは言え、魏も魏で漢の失敗から、晋は魏の失敗から……と繰り返しの歴史もあるので、一概に全て司馬炎の失態とも言い難いのですが……。

 

関連記事:魏王朝から禅譲後に晋の領内で進撃の○○が出現した!?

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八王の乱の起因:九品官人法

陳羣 九品官人法の書物

 

そしてここで悪手となったのがこの九品官人法です。九品官人法(きゅうひんかんじんほう
)
は地方でも有能な人材を選んで登用するという法でしたが、この時代には既に「有力な家の人物が選ばれる」ようになってきていました。

 

 

九品官人法を作った陳羣

 

このため「上品に寒門無く、下品に勢族なし」と批判され、能力ではなく生まれた家で出世が決まり、有能であっても地方で一家臣として終わるしかなかったのです……が、内乱が全てを変えます。

 

例え地方で燻っていても、その地方の王が皇帝になれば……?

 

という訳で、内乱は地方にとっては王だけのことでなく、臣下にまで影響するためむしろどんどんやってくれという状態になり、歯止めが効かなくなっていったのです。

 

関連記事:九品官人法(きゅうひんかんじんほう)は悪法?どうして曹丕は採用したの?

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内乱に次ぐ内乱で異民族が立ち上がる

裴潜(はいせん)に依頼する曹操

 

更に止めを刺したのが、国内で増加の一途を辿った異民族。異民族は曹操(そうそう)の時代から訪れてきており、その際は居住区などはかなり厳しく管理されてきていました。

 

 

宇文泰(異民族)

 

しかし異民族は年々増え続け、洛陽(らくよう)近くまで増えてきたと言います。

 

総大将になる宇文泰(異民族)

 

更に天下を統一したことで呉や蜀の土地も増え、管理もままならなかったのでしょう。そこに起こった内乱に次ぐ、内乱。異民族からすれば格好の機会であり、有力な指揮官さえいれば十分に蜂起できる……そしてそうなった時にはもう抑えるだけの力はない……正に内部から晋は崩れ落ちることとなったのです。

 

炎上する城a(モブ)

 

内乱に次ぐ内乱で一気に国が傾いた、そのきっかけ。それこそが八王の乱だったという訳です。

 

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三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

八王の乱、今回はざっくりとどんな出来事で、どんな風になってしまったのかをご紹介させて頂きました。とはいえ「八王の乱なのに八王全然出てこないじゃないか!騙されたわ!」なんて思われる方もいるでしょう。

 

八王の乱の八王についてはまたいずれ、時間をとってお話するとしましょう。

 

参考文献:晋書武帝記 恵帝記 列伝后妃上

 

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晋王朝のマイナー武将

 

 

 

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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