いよいよ公開間近な『新解釈・三國志』毎日のようにテレビやネットで告知が打たれて三国志ファンのみならず期待が高まってきています。
ところでムロツヨシ演じる諸葛孔明『新解釈・三國志』では恐妻家という設定になっています。史実の三国志でも三国志演義でも、孔明が妻、黄月英に頭が上らないなんて描写はありません。一体、どんな根拠で恐妻家になっているのでしょうか?
この記事の目次
諸葛孔明はよそ者で婿養子?
ムロツヨシ演じる諸葛孔明は、荊州の地で劉備のスカウトに秒速でOKを出して配下になりますが、実は荊州は孔明の生まれた土地ではありません。
孔明の故郷はもっと東の海側、徐州と言う土地で、孔明が幼い頃、徐州で曹操軍による虐殺が起きたので、叔父の諸葛玄に連れられ荊州まで避難してきたのです。
そして荊州で学んでいた学生の孔明を黄承彦という地元の金持ちが見込んで、
「わしには不細工だが頭がよい娘がいる。君には似合いだろう」と縁談を持ち込み、孔明も、とくに断らずに承諾。こうして孔明は学生の身分で妻を娶ったのです。
黄承彦は荊州のボス劉表にも繋がる実力者
ここまでの話なら、ただの逆玉の輿で
「不細工だけど賢くて大金持ちの妻を娶り、孔明は幸せに暮らしましたとさ」
で終わりですが、黄承彦はただの大金持ちではありませんでした。黄承彦の妻は、荊州の実力者蔡瑁の一番上の姉で、蔡瑁の二番目の姉は荊州のボス、劉表に嫁いでいました。
つまり、孔明は不細工な嫁さんを通じて、荊州のナンバー1とナンバー2と関係を持つ、ちょっとしたコルレオーネ・ファミリーに属していたのです。さらにいえば、当時は血で血を洗う戦乱の時代、蔡瑁も劉表も、敵対する勢力を粛正してのしあがったアウトレイジな人々でした。
徐州からの避難民で学生身分のニート諸葛亮が、妻の月英を泣かせようものなら、人知れず拉致され、檀渓の激流にプカプカ浮かんでしまう可能性も否定できないのです。
檀渓でプカプカは多少オーバーだとしても、父方の勢力は無いに等しい婿養子の立ち位置の孔明は、生活の多くを妻の実家に頼る事になり威張れる立場ではありませんでした。
リターンを求められる諸葛亮
また、黄承彦はただの善意で孔明に娘を与えたのではありません。諸葛亮の才能を見込んで、ゆくゆくは荊州で出世し黄家の利権の為に便宜を図ってくれることを期待したためです。
当時の中国では、一族の中で才能がありそうな人がいると、一族がこぞってお金を出して援助し、首尾よく出世した後は、全員がその人にぶら下がり生活の面倒を見てもらう風習がありました。
孔明の主君である劉備も父に先立たれ貧しい暮らしをしていましたが、一族の劉元起が、劉備の力量に目をつけて学費を援助し息子共々、高名な学者の下で学ばせています。これもただのボランティアではなく、将来劉備が出世したらその伝手を頼り、飯を食わせてもらおうという意味なのです。
タラタラしている孔明に黄月英は鬼嫁化
ところが孔明は27歳になってもえり好みをして就職もせずにニートを続行中。形としては、妻の財産で食わせてもらっている状態が続いています。この状態は妻の月英からすれば
「いつまで遊んで飯を食わせてもらう気?さっさと働け!この唐変木!」と嫌みの一つも言いたくなるでしょう。妻や黄承彦に、これまでのリターンを求められ進退窮まった孔明は、月英や黄家に見捨てられないように、落ち目の傭兵隊長劉備が訪ねてくると秒速で仕えたのかも知れませんね。
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