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この記事の目次
杜侯(杜預の祖父)を先に助けてくれ!
そんな杜預のエピソードをいくつかご紹介しましょう。杜預がある日、橋をかける土木工事が必要な場所があると上奏しました。
その場所は川が荒れやすく、度々船が転覆する事故が多発していた場所です。これを周囲は「橋までかけることはない」としていましたが、杜預はこれに反論して土木工事を完了させました。
杜預の祖父は嘗て、曹丕に命じられて諸葛誕と一緒に船を造り、テスト運行の際に暴風で船が転覆するという事故に合っています。この際に諸葛誕は自らも溺れながら「杜侯(杜預の祖父)を先に助けてくれ!」と叫んだと言われていますが、残念ながら杜侯は溺死、諸葛誕は意識不明の重体で助かりました。もしかしたら杜預が橋をかけさせたのは、船の転覆事故に思う所があったのかもしれません。
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鄧艾が大好きな杜預
また杜預は、鄧艾殿がだいすき(意訳)だったことも知られています。鍾会の反乱時にどさくさに紛れて衛瓘が鄧艾を殺すということが起こりました。
これに鄧艾殿がだいすき(暴訳)だった杜預は怒り沸騰、人前で前であっても衛瓘のことを
「衛瓘は死を免れない。身は名士、高い地位と人望を蓄えているのに、良い評判を立てられず、部下を統御することもしていない。器量が小さいくせに、君子の皮を被っている。その責務をどうやって全うする気なんだ」
と非難していたといいます。衛瓘は杜預に謝罪したと言いますが、その最期は杜預の言う通りなのは皮肉でしょうか。
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杜預は運動神経が悪かった
さて最後に筆者が杜預に親近感を抱いた一説を。杜預、運動神経が悪かったように言われています。馬に乗れず、弓も上手でなかったので、従軍の際には必ず将兵がついていたと言うのです。
あの時代に馬に乗れない将軍……まるで小学生の頃逆上がりができなかった筆者(今でも無理かも)を思い起こされる……!とは言っても杜預の家は代々文官の家系であり、馬に乗る訓練をしていなかったのでしょう。
現代でも馬術は訓練が必須のもので、30過ぎてやっと役職が回ってきて、50過ぎて戦に出た杜預がいきなり馬に乗れなかっただけかもしれないので、全て運動神経が悪いでは言い表せないかもしれませんが……それはまあ、謎のままということで。
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三国志ライター センのひとりごと
今回は杜預についてお話してみました。
他にも左伝大ファンだったり、コンプレックスがあったりと色々な逸話を持っている杜預。知れば知るほど、面白く、ちょっとクセのある存在だったりします。皆さんもぜひこの機会に杜預について知ってみて下さいね。
参考文献:晋書列伝第四伝
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