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この記事の目次
鄧艾の魅力4 優れた用兵
鄧艾が蜀を滅ぼしたことは有名です。蜀に入るための要衝「剣閣」は蜀の名将姜維が守っており、なかなか落とすことはできませんでした。
そこで鄧艾は大胆な提案をします。それは剣閣を迂回し、前人未到の裏ルートから蜀の首都成都を攻略しようというものでした。
鄧艾は先頭に立って進軍し、道を作り、橋を架け、飢えと戦い、そして崖から落ちながらも蜀の領土に到着。驚いた蜀は鄧艾に降伏したのでした。他にも反乱の鎮圧や異民族の慰撫にも成功しています。
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鄧艾の魅力5 宿命のライバルの存在
魅力あふれる人物を盛り上げるにはライバルの存在が不可欠です。鄧艾には2人のライバルと呼べる存在がいました。
先ずは敵将の蜀の姜維です。姜維は諸葛亮亡きあと、魏と戦うべく、何度も北伐を敢行しています。
そして鄧艾は何度か姜維と対峙し、それを撃破しています。小説「三国志演義」では鄧艾と姜維の戦いは後半のクライマックスとなっています。
もう一人のライバルは魏の同僚鐘会です。彼は魏の名臣の子として生まれ、幼いころから神童と呼ばれていました。所謂サラブレッドで、貧乏から身を起こした鄧艾とはまさに正反対の人物です。
蜀征伐においては鄧艾と鐘会が2つのルートに分かれ進軍し、競い合っています。そして鄧艾が見事勝利。
鐘会はよほど悔しかったのか、のちに鄧艾を讒言し、彼を死に追い込んでいます。
このライバルに陥れられ、非業の死を遂げるというのも悲しき魅力の一つと言えるかもしれません。
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三国志ライターみうらの独り言
鄧艾は「三国志演義」でも魏の武将としては珍しく活躍の機会が与えられ、とても魅力的に映る人物です。そして史実でも最期こそかなしいものの、民の事を思い、そして軍事でも力を発揮するという、パーフェクトな尊敬できる人物ですよね。
明らかに魅力的な鄧艾ですが、まだまだ日本ではマイナーなのが残念でなりませんね。
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