晩年の劉備は嘆くこともできなかった?現代にも通じる嘆きと髀肉の嘆

2021年5月17日

編集体制の詳細を見る
kawauso編集長(石原 昌光)

編集責任者

kawauso編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務めるほか、紙媒体やWebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者・おとぼけ(田畑 雄貴)

コンテンツ制作責任者

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月に「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感していただけることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。

提供する掲載情報について

『はじめての三国志』は、複数の企業と提携し情報を提供しており、当メディアを経由して商品への申込みがあった場合には、各企業から支払いを受け取ることがあります。

ただし、当メディア内での商品評価に関して、提携の有無や支払いの有無が影響を及ぼすことはありません。また、当メディアで得た収益は、読者の皆様により役立つコンテンツ制作へ還元し、情報の正確性担保に努めています。

詳しくは 編集ポリシー をご覧ください。


 

はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

髀肉の嘆の劉備

 

三国時代は色々な故事成語が生まれた時代でもあります。その中の一つにあるのが劉備の逸話から生まれたと言われる「脾肉之嘆(ひにくのたん)」。

 

二刀流の劉備

 

この髀肉之嘆はある意味でも現代に通じる故事成語でもあり、そして劉備(りゅうび)の境遇を良く表した故事成語でもあります。今回は改めてこの髀肉之嘆についてお話したいと思います。

 

劉備の決起から

太行山に入り山賊になる劉備三兄弟

 

劉備は黄巾(こうきん)の乱に置いて、義弟二人を交えた義勇軍を率いて参加。そして董卓(とうたく)の専横を見過ごせず連合軍に参加。

 

陶謙と劉備

 

そしてそして曹操(そうそう)徐州(じょしゅう)進行に参加……ここで、劉備は初めて自分の土地を譲り受ける形で得ます。

 

赤兎馬と呂布

 

しかしよりにもよって呂布(りょふ)を受け入れてしまったことで徐州を乗っ取られ、一度は和解するもやはりすぐにその関係は破綻。

 

劉備と曹操

 

ここで劉備は曹操の元に落ち延びていくことになります。

 

関連記事:曹操はどうして徐州出身者に嫌われているのか?天下を狙うならやってはいけない「徐州大虐殺事件」の真相

関連記事:公孫瓚や曹操が戦った青州・徐州黄巾軍とはどんな連中だったの?

関連記事:【悲報】徐州虐殺が曹操の中華統一を阻止した事実

 

劉備が諸葛亮に出会うまで

曹操と呂布と劉備

 

曹操の元に落ち延びた劉備はその協力を得て呂布を撃破、やっと徐州を取り戻す……のですが、ここで董承の曹操討伐計画に参加して、逆に曹操に討伐されそうになる所を袁紹(えんしょう)の元に逃亡。

 

曹操にコテンパにされる袁紹

 

袁紹の元に身を寄せるも曹操が袁紹を撃破、更に逃亡して劉表(りゅうひょう)の元に身を寄せることになります。

 

新解釈・三國志 三顧の礼に秒で答える孔明 孔明、劉備

 

この劉表の元に身を寄せている際にあの三顧(さんこ)の礼で有名な諸葛亮(しょかつりょう)との出会いがあり、劉備はここからやっと自分の土地というものを手に入れる時期がやってくるのです。

 

関連記事:呂布が徐州戦で実力を発揮したら三国時代の到来は無かったのではないか?

関連記事:『新解釈・三國志』三顧の礼に秒速でOKと応える孔明は実話だった!

関連記事:【三顧の礼】均ちゃんの野望ホントは劉備に仕官したかった諸葛均

 

逃亡の歴史

張飛、劉備、曹操

 

ここまでざっくりと見るだけでも分かりますが、劉備は行く先々で逃亡、どこかに身を寄せる、身を寄せた先が滅んだので次、といったように行く先々で貧乏神っぷり困難に直面しています。

 

曹操から逃げ回る劉備

 

何が凄いってここまで逃亡しっぱなしなのに、再び立ち上がって行くことです。しかし劉表の元に身を寄せて穏やかに暮らしていた際、劉備はある日現実を直視することになるのです。

 

関連記事:逃げるが勝ち!劉備の逃亡人生を考察してみたよ

関連記事:劉邦から劉備に続く『漢』という時代の影響を考察してみる

関連記事:劉備が見捨ててきた人々特集

 

髀肉之嘆

劉備 髀肉の嘆 ゆるキャラ

 

ある日、劉備はトイレに行った際に、自分のももに贅肉が付いていることに気付きます。

 

食客に成り下がる劉備

 

かつては乱世の中で必死に生き抜いてきた劉備、しかし劉表が受け入れてくれたことですっかり穏やかに日々を過ごしてしまい、馬を駆ることもなくなったためにももに贅肉が付いてしまったのですね。

 

劉備と的盧

 

だけどそんな状態になってもなお、劉備は曹操のように地盤を築けてはいません。劉備はこんな自分の境遇を嘆き、それが髀肉之嘆という故事成語となったのです。

 

関連記事:髀肉之嘆の由来と経緯、そして「ひにく!」

関連記事:髀肉の嘆(ひにくのたん)って何?劉備が嘆いた言葉とは?

関連記事:国がない劉備は趙雲や部下をどうやって養ったの?

新陳代謝

劉備

 

さて劉備の生年は161年、没年223年で享年は63歳。劉表の元に身を寄せたのが201年と言われています。ここから考えると劉表の元にいた頃の劉備の年齢は40代突入くらいですね。

 

三国志の主人公の劉備

 

一般的に新陳代謝が落ちる、つまり太りやすく痩せにくくなるのが30代と言われており、そこから新陳代謝はどんどん落ちていきます。

 

劉備の黒歴史

 

劉備は30代までは流浪と放浪、逃亡を繰り返さずを得なかったのでむしろ自分の身体に鞭を打っていたとも言えますが、新陳代謝がかなり落ちてしまった40代から劉表の元でゆったり過ごしたのでその鍛えぬいた身体も段々と萎えてきてしまったのでしょうね。しかし髀肉之嘆が「効果を発揮」してくるのはこのずっと後だと筆者は思うのです。

 

関連記事:劉備にカリスマ性があったの?三国志の英雄・劉備玄徳のカリスマの真実

関連記事:長坂の戦いはどんな戦いだったの?史実をもとに地図を使い徹底解説!

 

色々なあっての夷陵の戦い

蜀の皇帝に即位した劉備

 

さーてざっくりと時間を勧めましょう。既に関羽(かんう)張飛(ちょうひ)もなく、曹操も没し、曹丕(そうひ)が禅譲を受けて、それを認める訳にいかない劉備も漢中王になりました。

 

夷陵の戦いで負ける劉備

 

ここで劉備は関羽の仇と呉との戦いを選んでしまいます。夷陵(いりょう)の戦いは最初こそ善戦していたものの、222年に大敗北してしまいます。

 

劉備と仲がよくなる伊籍

 

この時の劉備の年齢は既に60代、髀肉之嘆から更に20年過ぎているのです。そして夷陵の戦いで失った数々の年若い武将たち……私が劉備だったら、これほど心折れることはないでしょう。

 

関連記事:夷陵の戦いで敗北した劉備は呉と再戦するつもりだった?敗戦後の劉備を考察

関連記事:夷陵の戦いの功績があったにも関わらず、どうして晩年の陸遜は憤死に至ったの?

 

夷陵の戦い

 

劉備が立ち直るための時間

劉備と的盧 ver2

 

劉備は何度も何度も立ち上がりました。敗北してもまた立ち上がる、髀肉に嘆きながら立ち上がるのが劉備です。しかしその脾肉から既に20年経っています。

 

徐庶がいなくなり寂しがる劉備

 

20年前ですら自分のももに贅肉が付いてるのを見て「こんな年になっても何もできていない」と嘆きました。そこから更に20年経っているのです。自分に残された時間は……そう考えたからこそ、もう既に嘆くことすらできなかったのではないか。

 

劉備の臨終に立ち会う孔明

 

そう思うと髀肉之嘆はあの瞬間に起こったからこそ、後々にじわじわと効いてくるボディブローのようなものだったのかな……?なんて、三国志の時間の流れを感じるのでした。

 

関連記事:劉備は白帝城で死んでいなかった!はじ三探偵・晃の事件簿

関連記事:白帝城はどこにあるの?劉備が星になった場所を紹介

関連記事:もし劉備が白帝城で死ななかったら三国志はどうなる?

 

三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

髀肉之嘆はある種、年を取ることへの嘆きです。それはある意味で、現代にも通じる嘆きなのかもしれません。

 

亡くなる黄忠

 

因みに三国志演義では夷陵の戦いの前に劉備は若い武将たちが集まったことから老兵を軽んじるようなコメントをしたことで、黄忠(こうちゅう)が命を落とすことになります。

 

三国志演義_書類

 

もしかしてそういった発言が出てきたのも劉備自身の年齢に対する意識だったのかな、と三国志演義でも考えてしまい、物語とは言え時間の流れをひしひしと感じてしまう作者なのでした……とぷん(更なる沼にハマる音)。

 

参考文献:蜀書先主伝

 

関連記事:【長江三峡】劉備が逃げ込んだ白帝城によかミカンが突撃

関連記事:蜀漢の帝都・成都はヤバイ場所だった?

関連記事:劉さんぽ!中国大陸を歩き続けた劉備の足取り

 

伝説の企画 朝まで三国志 最強のワルは誰だ

朝まで三国志1

 

 

はじめての三国志を、もっと読みたい方へ
Google検索であなたの優先ソースに登録しておくと、はじ三の記事が上位に出やすくなります。
  • この記事を書いた人
  • 最新記事
セン

セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

-劉備, 故事成語
-