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晩年の劉備は嘆くこともできなかった?現代にも通じる嘆きと髀肉の嘆

2021年5月17日


はじめての三国志_ページネーション

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嘆きと髀肉の嘆(1P目)

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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新陳代謝

劉備

 

さて劉備の生年は161年、没年223年で享年は63歳。劉表の元に身を寄せたのが201年と言われています。ここから考えると劉表の元にいた頃の劉備の年齢は40代突入くらいですね。

 

三国志の主人公の劉備

 

一般的に新陳代謝が落ちる、つまり太りやすく痩せにくくなるのが30代と言われており、そこから新陳代謝はどんどん落ちていきます。

 

劉備の黒歴史

 

劉備は30代までは流浪と放浪、逃亡を繰り返さずを得なかったのでむしろ自分の身体に鞭を打っていたとも言えますが、新陳代謝がかなり落ちてしまった40代から劉表の元でゆったり過ごしたのでその鍛えぬいた身体も段々と萎えてきてしまったのでしょうね。しかし髀肉之嘆が「効果を発揮」してくるのはこのずっと後だと筆者は思うのです。

 

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色々なあっての夷陵の戦い

蜀の皇帝に即位した劉備

 

さーてざっくりと時間を勧めましょう。既に関羽(かんう)張飛(ちょうひ)もなく、曹操も没し、曹丕(そうひ)が禅譲を受けて、それを認める訳にいかない劉備も漢中王になりました。

 

夷陵の戦いで負ける劉備

 

ここで劉備は関羽の仇と呉との戦いを選んでしまいます。夷陵(いりょう)の戦いは最初こそ善戦していたものの、222年に大敗北してしまいます。

 

劉備と仲がよくなる伊籍

 

この時の劉備の年齢は既に60代、髀肉之嘆から更に20年過ぎているのです。そして夷陵の戦いで失った数々の年若い武将たち……私が劉備だったら、これほど心折れることはないでしょう。

 

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夷陵の戦い

 

劉備が立ち直るための時間

劉備と的盧 ver2

 

劉備は何度も何度も立ち上がりました。敗北してもまた立ち上がる、髀肉に嘆きながら立ち上がるのが劉備です。しかしその脾肉から既に20年経っています。

 

徐庶がいなくなり寂しがる劉備

 

20年前ですら自分のももに贅肉が付いてるのを見て「こんな年になっても何もできていない」と嘆きました。そこから更に20年経っているのです。自分に残された時間は……そう考えたからこそ、もう既に嘆くことすらできなかったのではないか。

 

劉備の臨終に立ち会う孔明

 

そう思うと髀肉之嘆はあの瞬間に起こったからこそ、後々にじわじわと効いてくるボディブローのようなものだったのかな……?なんて、三国志の時間の流れを感じるのでした。

 

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三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

髀肉之嘆はある種、年を取ることへの嘆きです。それはある意味で、現代にも通じる嘆きなのかもしれません。

 

亡くなる黄忠

 

因みに三国志演義では夷陵の戦いの前に劉備は若い武将たちが集まったことから老兵を軽んじるようなコメントをしたことで、黄忠(こうちゅう)が命を落とすことになります。

 

三国志演義_書類

 

もしかしてそういった発言が出てきたのも劉備自身の年齢に対する意識だったのかな、と三国志演義でも考えてしまい、物語とは言え時間の流れをひしひしと感じてしまう作者なのでした……とぷん(更なる沼にハマる音)。

 

参考文献:蜀書先主伝

 

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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