張飛と関羽は史実においては劉備の兄弟分、演義においては義兄弟として描かれる人物です。それぞれ豪傑という共通する点と真逆とも言える性格であることから、どちらも人気があります。
現在では媒体によってキャラ設定が異なりますし、ファン層も多様化していることもあって人気があるのはどちらかと言っても甲乙つけるのは難しいでしょう。
しかし、三国志演義などに出てくる限られたエピソードしかなかった時代は人気もどちらかに偏っていたので、どちらが上だったのかを判断することができます。そこで今回は時代ごとに人気があるのはどちらだったのか、その理由は何だったのかを紹介していきたいと思います。
この記事の目次
三国時代〜隋、唐代は張飛の方が人気
人気度合いを測る尺度として支持率の高さがあります。特に中国では死後に英雄や偉人を祀る風習があるので、いつから祀られていたか、どのくらいの規模で祀られていたかで人気度の比較が可能です。
まず故人を祀る際に建てられる廟が建てられた時期を比べてみます。最も古い関帝廟は隋代に建てられたとされるものが現存していますが、それに対して張飛廟は張飛の死後間もない三国時代から存在していました。
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張飛が早期に祀られた理由
劉禅は260年に関羽や張飛など主だった人物に諡を追号していて、関羽は「壮繆候」、張飛は「桓候」と呼ばれるようになります。
追号された事実だけを見ると大したことでは内容に思えるのですが、その諡に注目をすると張飛が関羽よりも先に祀られた理由が見えてきます。
関羽の壮繆候とは「名はあるものの実が伴わない」という微妙な意味であるのに対し、張飛の桓候とは、荒っぽい性格ではあるものの困った時には民衆を助けてくれる雷を司る神様の名前です。この諡のおかげで張飛は以降、「張桓大帝」などと呼ばれて民間で神様として祀られるようになります。
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唐代に張飛を中心とした物語が多く生まれる
神様として祀られるようになった張飛は民衆の中で人気の存在となりました。唐代の長期的な平和の中で三国志に関する様々な物語が生まれていくのですが、その際に張飛に関するものも増えていきます。
例えば、唐詩の「驕児詩」の中でもその名前が詠まれていますし、唐代の戯劇を研究した「唐戯弄」という本でも唐代に張飛を題材とした劇があったことが記載されています。こうした話が元になって後の三国志平話や演義へと繋がっていきました。
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