鍾会、反乱を起こす
蜀の地で邪魔する者がいなくなった鍾会は独立の野心を抱くようになります。鍾会はかつて戦った姜維を高く評価し、彼と共に反乱を企てます。
そして一部の武将や役人を監禁するなどをしましたが、部下に裏切られ、姜維と鍾会は殺されてしまいます。
鍾会は生前「鍾会に大軍を与えるのは危険」「野心が器量より大きい」などあまり周囲に信用されていないようでした。
鄧艾の悲しい最期
鍾会の反乱が失敗すると、都に護送途中だった鄧艾を部下が助け出します。しかし、鄧艾を逮捕した鍾会の部下が鄧艾に逆恨みされるのを恐れ、鄧艾を殺害してしまいます。
鄧艾の息子たちは謀反の疑いで殺され、妻と孫は流罪となっていましたが、のちに鄧艾の功績が認められ、名誉を回復しています。
三国志ライターみうらの独り言
鄧艾と鍾会は出自が正反対で、どう考えてもウマが合わなそうなのに蜀征伐を二人で行わせた魏の判断はとても興味深いですね。もしかして、反発する二人に競わせて成果を大きくしようという魂胆があったのかもしれません。結果は成功しましたが、最後は二人とも悲しい最期を迎えたのがちょっと残念ですね。
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