魏の名将鄧艾の息子、鄧忠はどんな人物だったの?




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鄧艾と全面対決で敗れて亡くなる諸葛瞻

 

魏の武将鄧艾(とうがい)と言えば、奇策により蜀を滅ぼした名将として知られています。

 

農業の知識が豊富な鄧艾(トウ艾)

 

また、内政にも力を発揮し、運河採掘や屯田(とんでん)の実行など主に農政についての専門家としての面も持っています。そんな鄧艾には息子がいました。今回の記事ではそんな鄧艾の息子である鄧忠(とう ちゅう)について探ってみたいと思います。




名将鄧艾とは?

鄧艾

 

先ずは鄧艾について紹介しましょう。

 

吃音で悩まされた鄧艾(トウ艾)

 

鄧艾は幼いころ父を亡くし、母と共に屯田のために移住をさせられました。そこで役人として召し出されるのですが、吃音(きつおん)を持っていたためなかなか出世できず。

 

 

しかし、苦学して当時の魏の権力者司馬懿(しばい)と謁見する機会を持ちます。そこで鄧艾は才能を見いだされ、中央で働くことになるのです。

 

農業の知識を使って富国強兵に努める鄧艾(トウ艾)

 

農政に力を発揮し、のちに将軍として軍にも携わることになります。異民族の鎮撫や反乱の鎮圧などで活躍し、ついには奇策を用いて蜀を滅ぼすことになるのです。

 

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鄧艾の息子たち

鄧艾(トウ艾)の息子・鄧忠(トウ忠)

 

鄧艾には3人の息子がいました。その中で名が伝わっているのは「(とうちゅう)()」です。

 

前人未到のルートで蜀にたどり着いた鄧艾(トウ艾)

 

彼は主に父の鄧艾と行動を共にし、数々の戦に参加しました。正史に伝(個人の伝記)が建てられているわけではありませんが、もっとも名前が見られるのは鄧艾の蜀征伐の場面です。

 

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【蜀漢の滅亡】
蜀漢の滅亡

 

父と共に蜀征伐に向かう

司馬昭から蜀の討伐を命じられる鍾会と鄧艾(トウ艾)

 

263年、魏は蜀の征伐に乗り出します。魏は鐘会(しょうかい)と鄧艾を責任者として送り出します。しかし、蜀の要地「剣閣(けんかく)」は蜀の名将「姜維(きょうい)」が守り、なかなか落とすことが出来ませんでした。

鄧艾と姜維

 

そこで鄧艾は提案をしました。それは普段人がほとんど通ることのないルートから直接蜀の首都成都を狙うというものでした。この提案は受け入れられ、鄧艾は息子鄧忠らと共に道なき道を進軍することになりました。

 

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鄧忠、奮戦する

祁山、街亭

 

その前人未到のルートの進軍は困難をきわめました。

 

毛布に包まり崖を転げ落ちる鄧艾(トウ艾)

 

鄧艾と鄧忠たちは自ら木を伐り、道を作り、崖を毛布にくるまり落ちるなど必死に前進しました。そしてついに蜀の領地「江由」に到達。

 

鄧艾(トウ艾)と一緒に木を切り蜀に前進する鄧忠(トウ忠)

 

突然の魏軍の出現に驚いた守将は直ぐに降伏してしまいます。蜀はあわてて諸葛瞻(しょかつせん)諸葛亮(しょかつりょう)の息子)を派遣します。鄧艾は鄧忠らを戦いに向かわせます。

 

しかし、撃退されてしまい、自陣に退却してしまいました。

 

そこで鄧忠らは鄧艾に

「敵軍はとても強く、容易に打ち破れるものではありません」

と弱音を吐きました。

 

鄧艾はそれを聞いて怒り、剣を手に持ち鄧忠らを斬首しようとしました。驚いた鄧忠らは再び戦いに臨み、見事敵軍に勝利するのです。兵士たちも敵の領地に孤立しており後がない戦い、大いに奮起したことでしょう。

 

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蜀を降伏させる

降伏する劉禅

 

蜀軍の主力は剣閣に集中しており、もはや守りきれないと感じた蜀主劉禅(りゅうぜん)は降伏を申し出ました。鄧艾はこれを許し、降伏したものに対しても寛大に接したと言います。鄧艾と鄧忠はその活躍が認められ、大いに出世、加増をされることになりました。

 

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