思春期を迎えた男子の心をつかんで離さないモノ、それはウハウハ本です。
若者の無駄に多いエネルギーをハッスルする事で蕩尽させてしまうウハウハ本ですが、三国志の英傑達の時代にはウハウハ本があったのでしょうか?
今回は、面白半分で調べてみたら意外に奥が深かった三国志ウハウハ本を解説します。
この記事の目次
三国志の時代にウハウハ本はあったのザックリ!
では、最初に三国志の時代にウハウハ本があったかどうかについて簡単に説明します。
| 1 | 前漢の劉向「列女伝」孽嬖伝によると殷の紂王が
男女のウヒョ!を絵師に描かせたのがウハウハ本の始まり |
| 2 | 光武帝が宴会で部下にふざけてウハウハ本を見せたとする記述が光武帝紀にある |
| 3 | ウハウハ本は春宮画と言い、陰陽二元論に基づき、
男女のウヒョで健康を増進させる房中術の教科書 |
| 4 | 後漢の科学者で文人の張衡の同声歌には、漢の時代の上流階級の新婦が新婚初夜に
春宮画を持参し勉強する様子が描写される |
| 5 | 安土桃山時代頃に明から印刷物の春宮画が日本に輸入されやがて春画へ変化した。 |
ここまでがザックリしたウハウハ本の解説です。以下では、さらに詳しく各項目を見ていきましょう。
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酒池肉林でございます!
古代中国では、いつ頃からウハウハ本が登場したのでしょうか?前漢の劉向「列女伝」孽嬖伝によると、あの、酒池肉林でございます!で有名な殷紂王は、男女のウヒョ!図を絵師に描かせていたのだとか…
そう言えば封神演義の紂王も、女媧廟の美しい女媧像を見てハッスル!
「もしも女媧娘々が朕のジョカノだったら、あーんな事やこーんな事を…」と
妄想力全開でイヤーンな詩を廟の中に書き残したせいで女媧の怒りに触れ、九尾の狐を送り込まれて暴君化し殷を滅亡に追いやりました。
もしかすると封神演義の紂王イメージには、「列女伝」の孽嬖伝も影響を与えているのかも知れませんね。
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光武帝もウハウハ本を見て家臣に叱られた
時代は下って西暦1世紀。
王莽によって麻の如く乱れた中国を再統一したチートな英雄光武帝ですが、彼は皇帝に即位しても、かつての仲間と飲み会をする事が好きであり、泥酔して秘蔵のウハウハ本を仲間に披露して、家臣に厳しく叱られたという逸話があります。
皇帝ほどの権力があれば、美女なんて中国全土からよりどりみどりのはずですが、やはり生身の女性と2次元のウハウハ本は違うという事なのでしょうか?
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古代中国ウハウハ本の正体とは?
実は、古代中国のウハウハ本は現在のウハウハ本とは存在する意味合いが違いました。古代中国のウハウハ本は正確には春宮画と言い、房中術の解説書だったのです。
房中術は、陰陽二元論の影響を受けた考え方で、世の中が陰と陽で分かれて調和しているように、男は陽で女は陰でありお互いが正しい作法を守り、ウヒョ!する事により体内のバランスが保たれて、より健康になると説きました。
ちなみに春宮画でウヒョ!する男女のモデルは、中国最初の人型帝王である黄帝とその侍女であった素女だそうです。日本では滋養強壮ドリンクとして知られるユ〇ケル黄帝液の黄帝はこちらの黄帝ですが、うーん、色々な意味で効き目がありそうな名前なんですね。
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漢の時代、新婦の必需品だったウハウハ本
ウハウハ本は何も若い男性の必需品ではありません。当時の上流階級の女性は男性経験を積む前に若くして嫁入りにしてしまうので、春宮画が夫婦仲の鍵を握っていたのです。
実際に後漢の科学者で文人でもある張衡は、同声歌という詩で、これから新婚最初の夜を迎える新妻が「素女は私の師である」と言い、熱心に春宮画を見て学んでいる?様子を巧みに詠みました。
同声歌は、西暦100年頃の作品なので、三国志からもそんなに離れていません。例えば三国志に登場する仙人左慈は、房中術の達人である事からテキストとして多くの春宮画を保有していたかも知れません。
曹操だって、あくまでも健康長寿という名目で左慈から春宮画を貰ってウハウハしていたりするかも、あくまで妄想ですが…
大昔の春宮画は残っていない
三国志の頃の春宮画は、まだ材質がよくない紙ではなく絹などに描かれたと思われます。それというのも、正史三国志には顕彰されて県庁の壁に歴代の県令の肖像画が掛けられたというような描写が出てくるからです。
しかし、絹に描かれた春宮本は戦乱と長年の歳月に耐えられずに風化して消えてしまい、現存する最古の本は600年ほど前の明の時代に描かれたものでした。
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春宮画は日本に伝わり春画に
さて、中国で誕生したウハウハ本は、医学書と共に房中術を教える解説図として日本に伝来し偃息図と呼ばれました。
その後、安土桃山時代から江戸時代にかけ、印刷物の春宮秘戯図が明王朝から伝来。低価格になり、庶民にまで広がり需要が伸びて絵師によって多く描かれるようになります。
こうして需要が伸びると自然に房中術のジャンルを離れて、よりウヒョ!を強調した描写が出てくるようになり、春宮画から一文字取った春画が誕生しました。
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三国志ライターkawausoの独り言
最初は健康増進の房中術として世の中に出てきたウハウハ本、春宮画。しかし、宴会の席で光武帝がふざけ半分で部下に見せたところを見ると、その頃には健康増進から離れて、男子がハッスルする為の小道具の1つだったのかも知れません。
三国志の時代の春宮画が出土したら、どんなものだったのか是非見てみたいものです。
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