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「仁」
「仁」は三国志演義の劉備お馴染み、仁愛ですね。
袁紹「見人飢寒、恤念之形于顔色其所不見、慮或不及也。所謂婦人之仁耳」
曹操「於目前小事、時有所忍、至於大事、与四海接、無不済也。恩之所加、皆過其望、雖所不見、慮之所周、無不済也」
袁紹は他人の餓えを見ると哀れみの気持ちを顔に出すけれど、見えない所までは考えが及ばず、曹操は目の前の小さな点に関しては時に蔑ろにするも、大きな面を見て、目に触れないことまで考えて対応する、ということですが、これのポイントは決して袁紹には仁の心がない、ということではないということではないでしょうか。
ただし袁紹の仁愛は目に付く事が多く、その目の届かない所までは対処できない……根本的な解決法ではなく、その点において曹操は勝っている、と結んでいます。
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その話の巧みさ
さて一部のみご紹介しましたが、皆さん郭嘉の凄さにはお気づきでしょうか。まず曹操と袁紹を比較し、曹操だけを一方的に褒めるのではなく、袁紹との引き合いで袁紹のマイナス面を強調することで、より曹操の良さを分かりやすく説明しているのです。
郭嘉の意図はどこにあったのかは筆者には分かりません。しかし郭嘉は曹操に対して、袁紹の十の負、曹操の十の勝を説明することで、そして分かりやすくすることで曹操に自信を持たせているのではないかと思います。
自信を持たせるには良い面を説明すること、しかし曹操の不安を払拭するにはただ自身の良い面を知らせるのではなく、対する袁紹に対して「勝っている」と分かりやすく説明することで、より曹操に自信をつけさせたのではないかと思います。だからこそ郭嘉は、巧みだな、と思うのです。
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とにかく巧い
因みにこの十勝十敗の直前に、郭嘉は項羽と劉邦を引き合いに出しています。項羽と劉邦もまた、同じ力を持っていた訳ではなく、強大な項羽に劉邦は知力で勝利しました。これもまた分かりやすい例を持って、郭嘉は曹操に解説したのですね。
この巧みな説得、説明、そして鼓舞……これを受けた曹操が郭嘉を手に入れたことを喜ぶのもまた、必然と言えるのかもしれません。
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三国志ライター センのひとりごと
見直せば郭嘉の説明、例と比較を出して分かりやすく説明していることが分かります。頭の良い人ほど難しい解説をせず、簡単に分かりやすく説明するとはよく言ったものです。改めて郭嘉の凄さに感嘆しますね。
しかし郭嘉伝をという響きを見ていると何か思い出す……あっ〇茶〇伝だ……!という筆者の余計なつぶやきを残しつつ、今日も三国志沼からお届けしました。
どぼん!
参考文献:魏書武帝紀 郭嘉伝
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