彼は荀彧の推挙にて曹操と対面し、曹操から相談を受けます。その頃曹操は北の袁紹との関係が悪化し、その強大な敵に不安を抱いていました。それに郭嘉が返したのがかの有名な「十勝十敗」、本日はこれについてちょっとお話しましょう。
この記事の目次
曹操の十勝、袁紹の十敗
郭嘉は曹操にこう答えました。
「曹操殿には十の勝ちあり、袁紹には十の負けあり」
「それは道・義・治・度・謀・徳・仁・明・文・武のことでございます」
これは曹操と袁紹を比べ、曹操の勝っている面、袁紹の負けている面を郭嘉が比較して説明しているのですが、この説明が中々分かりやすく、そして巧みです。全てをいちいち説明するのは面白くないので、少しピックアップして見ていってみましょう。
「度」
「度」とは人としての度量のことです。
袁紹「外寛内忌、用人而疑之所任唯親戚子弟」
曹操「外易簡而内機明、用人無疑、唯才所宜、不間遠近」
袁紹は外面は寛大にしているけど、内面では人を疑い、親戚や子弟ばかり用いているが、曹操は個の才能を見抜いて親戚や他人で分けることはないということですね。因みに魏王朝の前後、漢と晋は身内経営で破綻しているところがあるので、ある意味郭嘉の言い方は政治批判ともとれます。
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「謀」
「謀」は分かりやすく、謀略、策謀のことです。
袁紹「多謀少決、失在後事」
曹操「策得輒行、応変無窮」
袁紹は謀は多くてもそれを決める能力が少なく、失敗するとそこで後をどうしようという臨機応変の才がなく、曹操は謀をすぐ行ってその後は臨機応変に対応することができるということです。
特に決断力の面では後に曹操は「劉備は決断が自分よりも遅い」と言っているので、謀に関してその数の多さではなく、それ判断するだけの能力も必要というところまで考えているのが郭嘉と曹操の知恵者たる所以ですね。
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「徳」
「徳」はそのまま、人徳です。
袁紹「因累世之資、高識揖譲以収名誉士之好言飾外者多帰之」
曹操「以至心待人、推誠而行、以至心待人、推誠而行、不為虚美、以倹率下、与巧者無所吝、士之忠正遠見而有実者、皆願為用」
袁紹は代を重ねて謙虚にすることで評判を得たけれど、それによって外見ばかり飾っている人物が多く身を寄せており、対して曹操は真心と誠意で人々に接し、誠実な人柄に惹かれて忠義のある人々が皆寄って来ている、とのことです。
個人的に郭嘉と曹操の出会いが三国志演義ではないのは、何よりもこんなこと言われたら曹操と劉備のイメージがおかしくなってしまうからかなぁ……なんて考えた瞬間です。
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