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皇帝とは大変なお仕事、何せ国が滅べばその責任追及は死して尚行われるのですから。とは言え、庶民の私から見てもこの皇帝はちょっと……なんて言いたくなる皇帝も中にはいるのがホンネ。
はじ三アンケート「三国志皇帝ワーストは?」一体誰でしょうか?
意外なあの人が大人気(???)なコメントも見逃せません!
「とてもつらい」霊帝
「まあ、外戚やら宦官やらで単純に言っちゃいけないんだろうが、そもそも霊帝みたいなのが皇帝になれる世じゃなけりゃ乱世到来してない」
引用元:はじめての三国志TV
他にも要因は数多くあれど、漢王朝衰退の極めつけを打ってしまったようなお方。個人的にはこの人の代で滅んでいないので、彼の負債を子供たちが払ったようになったのが とてもつらい 。
この他にも、ちょっと紹介しきれませんがとても詳しいコメントも複数ありました。実にためになるコメントで、筆者も個人的にちょっと調べてみたいと思います。ありがとうございました!
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暴君の代名詞?孫皓
「実害や人間性を思えば、やはり孫皓」
「孫晧しかいないでしょう。皇帝時代の暴政や圧政は一体何だったのでしょうかね」
引用元:はじめての三国志TV
正史三国志にかなり悪行が記された上に、陳寿にとてつもなく非難されているお方。二宮の変で弱り切った孫呉に止めを刺した皇帝と言いましょうか。
その振る舞いは暴虐そのもの、なのですが、滅亡に当たって諸将二宛てた手紙ではそんな自分を顧みており、不思議な潔さもまた感じさせる人物。何とも不思議な暴虐の君です。
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暗愚(とばかりも言えない)劉禅
「平時なら劉禅の方が孫晧より良いかも知れませんが戦時では逆になりそうな気もするので。分裂の時代という状況だと「決断の遅さや主体性の不足」という意味では劉禅の方が時代に合わないのかな?という印象はあります」
「蜀贔屓だからどうしても劉禅がやはり許せない」
引用元:はじめての三国志TV
「蜀が滅亡した際の皇帝」ということも相まって、やはり劉禅が目の敵にされるのは仕方のないことかもしれません。
ただ陳寿は劉禅を「白糸は染められるままに何色にも変ずる」と評したように、劉禅そのもの全てが暗愚という訳ではなく、周囲の者に良く影響された、という部分は大きくあるでしょう。
ですが黄皓のような佞臣を寵愛したことで国が滅んだ、それもまた間違いなく事実です。これらの二面があり、中々に評価が複雑なのが劉禅、と言った印象ですね。
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幼帝成長して……曹芳
「曹芳の情けなさには残り三者は遠く及ばない」
「曹芳に関しては、政務に無関心で意欲もなく、後宮に籠って女遊びに興じていた引きニートで、魏朝を一代で傾かせてしまった呆帝です」
引用元:はじめての三国志TV
八歳で皇帝になった曹芳、政治は司馬懿と曹爽が取り仕切るようになりますが、まずは曹爽が専横を始め、その曹爽が司馬懿に敗れると今度は司馬家による権力掌握が始まります。
ここまでに曹芳、幼いこともあってか殆ど何がどうしていたか記録はありません。
ただし成長してきて司馬一族の専横が気に入らなくなったのか、254年、李豊らに命じて司馬師を追放、夏侯玄を大将軍に……しようとしたものの、計画が露見し、逆に彼らは司馬師に誅殺されます。
皇帝である曹芳まではこの時点では追求されなかったものの、司馬師は「好色に耽って政務を疎かにしている」という理由で曹芳を廃しました。これは全くの捏造ではなく、詩などがあることから問題にはなっていたようです。
ともあれ特に政治を行わず、姦淫に耽り……暴虐をしなかっただけマシかもしれませんが、それでも曹芳は皇帝という立場に据える人間ではなかったと思われますね。
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意外にもこんな人が
「袁術に一票!!」
「ここは袁術でしょう」
「袁術1択だわ」
引用元:はじめての三国志TV
皆さん袁術さまだいすきですね!!
しかし実際にまだ皇帝の人間が生きて(しかも曹操に保護されている)のにも関わらず、ノリと勢いで皇帝を名乗っちゃったのが袁術の運の尽き。皇帝になるには根回しと支持と血流と何よりも「力」が必要であることを周囲に知らしめた良い例題と言えるでしょう。
「自分は袁術は除外しました」
引用元:はじめての三国志TV
お!でもこんな方もいらっしゃいましたよ!
「そもそも国として存立していないと考えているからです」
引用元:はじめての三国志TV
やだ、からくち。はちみつちょうだい。
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三国志ライター センのつぶやき
さて皇帝とは秦の始皇帝を始めとした最高権力者の称号であり、本来ならばむやみやたら名乗るものではありません。そんなトップの存在ともなれば、その全てに責任が生まれるもの。
成功すれば時に当然と言われ、失敗すれば全てを失うレベルで叱責されることもあります。なので亡国の皇帝などはキツイ眼で見られがちですが、彼らがどれだけ「やらかしたか」だけでなく、彼らがどれだけ「成し遂げた」のかも見ていかないといけないなー、改めてこれを機会に思い直した筆者でした、
がんばろ!どぼん!
引用元:はじめての三国志TV