「三国志」は英雄たちや武将たちのほかに、数多くの馬が登場します。「三国志演義」を紐解いても、武将たちが馬に乗って一騎打ちを演じるシーンがたくさんありますね。
しかし、「三国志」の時代の馬は果たして本当に、人を載せて突撃することができるような、大きく丈夫な馬だったのでしょうか?
今回は「三国志」の時代の馬について、その体格を中心に考察してみたいと思います。
「三国志」における馬の記述は信頼できない?
「三国志」は英雄豪傑、すなわち人間が主役です。従って、「正史三国志」においても、「三国志演義」においても馬はあくまでも乗り物にすぎず、馬についての記述も赤兎馬や的盧などの一部の名馬を除けば、ほとんどなされていません。
こうした英雄の愛馬たちは得てしてその体格や能力が誇張されるものであり、例えば呂布の愛馬である赤兎馬は「一日千里を走る」といった具合に、非現実的な描写がされています。
従って、「三国志」の時代の一般的な馬がどのような姿かたち・体格であったのかについても、史料からは読み取ることは困難なのです。
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中国在来馬から推測する古代中国の馬とは?
そこで、今回の記事では古代の馬の性質を色濃く残している中国在来馬から、古代中国の馬がどのような大きさだったのか、推測してみたいと思います。中国在来馬の中でも、青海省・甘粛省・四川省の境界に当たる青蔵高原で飼養されている「河曲馬」は、ヨーロッパ産の馬との交配があまり進んでおらず、現在は中国政府によって厳格に保護されていることから、特に古い時代の中国馬の特徴を色濃く残していると言われています。
河曲馬は、漢の時代に烏孫・大宛などの西域(中央アジア)の遊牧民から輸入した馬の血を引くと言われており、4世紀頃からは青蔵高原一帯を支配した吐谷渾という遊牧民によって育まれてきた品種です。
漢の景帝・武帝は匈奴に対抗すべく西域の馬を盛んに輸入し、中国の馬の品種改良を行ったと言われていることから、「三国志」の時代の古代中国馬も、西域の馬の血が入っていると考えられます。この点からも、河曲馬は「三国志」の時代の馬の姿かたちを考える上で良いモデルではないでしょうか。
河曲馬は体長143cm前後、体高137cm前後、体重400kg前後で、ずんぐりした体型と強靭な脚が特徴です。これは、体長160cm前後、体重500kg程度になるサラブレッドに比べれば一回り小さい体格となります。「三国志」の時代の軍馬もだいたいこのくらいの体格ではないでしょうか。
とはいえ、河曲馬は体高120cm程度のポニーよりは大きく、1マイル(約1.6km)ほどの距離を走ることに特化したサラブレッドに比べ、短距離の瞬発力や最大速度は劣るものの、それでも最大で時速60km程度の速度を発揮することができます。
一方、強靭な足腰を生かした河曲馬のスタミナはサラブレッドに遥かに勝ります。記録によれば、2トンの貨物を積載した馬車を4頭の河曲馬が曳き、30kmの距離を2時間ほどで走破したと言います。
「三国志」の時代の軍馬は短距離のスピードよりは、広大な中国の大地を移動でき、重い甲冑を着た兵士や重い物資を運ぶことができる持久力が求められたはずです。その点では、スタミナに定評があり、足腰の強い河曲馬は、当時の馬と非常に類似しているのではないでしょうか。
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西洋の軍馬との比較
では、河曲馬をもとに「三国志」の時代の馬と西洋の軍馬を比較してみましょう。比較対象となるのは、「三国志」と同様、馬にまたがった騎士たちが戦った中世ヨーロッパの軍馬です。
中世ヨーロッパの軍馬の流れをくむとされている馬が、フランス原産のペルシュロンです。ペルシュロンはサラブレッドや河曲馬、アハルテケなどの軽種馬に対して重種馬に分類され、ヨーロッパ原産の馬に中東のアラブ馬の血が加わった品種と言われています。
ペルシュロンは体高170〜200cm、体重は1トンにものぼる巨大な馬です。ペルシュロンはその持ち前の巨体から生み出されるパワーに優れており、中世ヨーロッパでは重武装の騎士を載せていました。しかし、河曲馬などのアジアの軽種馬とは異なり、その走るスピードは鈍重そのもので、騎士たちが突撃したとしてもそのスピードは歩兵とさほど変わらなかったと考えられています。
従って、もし中世ヨーロッパの騎士と「三国志」の時代の騎兵が戦った場合、突撃の衝撃力と防御力で勝るヨーロッパの騎士を、「三国志」の時代の騎兵たちは、機動力・スピードを生かしていなすという戦いになるのではないでしょうか。
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三国志ライター Alst49の独り言
いかがだったでしょうか。
日本や中国の軍馬や騎兵について論じる時、「古代の馬はポニー並みだった」という言説をたびたび聞きますが、中国において古代の軍馬の系統を受け継いでいると言われている河曲馬は体高こそポニーに分類されますが、その強靭な体格から生み出されるスピードとスタミナは決して西欧の馬に引けを取らず、戦場において十分に活躍した素晴らしい馬であったと考えるべきだと思えるのですが、いかがでしょうか?
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