三国志の時代の馬の大きさは?中世ヨーロッパの騎士と三国志時代の騎兵が戦ったら、どんな戦になる?

2022年2月5日


 

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赤兎馬が大好きな呂布

 

三国志」は英雄たちや武将たちのほかに、数多くの馬が登場します。「三国志演義」を紐解いても、武将たちが馬に乗って一騎打ちを演じるシーンがたくさんありますね。

 

赤兎馬にまたがる呂布

 

しかし、「三国志」の時代の馬は果たして本当に、人を載せて突撃することができるような、大きく丈夫な馬だったのでしょうか?

 

赤兎馬のモデルとなった汗血馬

 

今回は「三国志」の時代の馬について、その体格を中心に考察してみたいと思います。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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「三国志」における馬の記述は信頼できない?

的盧に乗る龐統

 

「三国志」は英雄豪傑、すなわち人間が主役です。従って、「正史三国志」においても、「三国志演義」においても馬はあくまでも乗り物にすぎず、馬についての記述も赤兎馬(せきとば)的盧(てきろ)などの一部の名馬を除けば、ほとんどなされていません。

 

赤兎馬と呂布

 

こうした英雄の愛馬たちは得てしてその体格や能力が誇張されるものであり、例えば呂布(りょふ)の愛馬である赤兎馬は「一日千里を走る」といった具合に、非現実的な描写がされています。

 

キングダムと三国志 信と曹操のはてな(疑問)

 

従って、「三国志」の時代の一般的な馬がどのような姿かたち・体格であったのかについても、史料からは読み取ることは困難なのです。

 

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中国在来馬から推測する古代中国の馬とは?

汗血馬を手に入れる李広利

 

そこで、今回の記事では古代の馬の性質を色濃く残している中国在来馬から、古代中国の馬がどのような大きさだったのか、推測してみたいと思います。中国在来馬の中でも、青海省(せいかいしょう)甘粛省(かんしゅくしょう)四川省(しせんしょう)の境界に当たる青蔵高原(せいぞうこうげん)で飼養されている「河曲馬(かきょくば)」は、ヨーロッパ産の馬との交配があまり進んでおらず、現在は中国政府によって厳格に保護されていることから、特に古い時代の中国馬の特徴を色濃く残していると言われています。

 

伝説的な汗血馬と出会う張騫

 

河曲馬は、漢の時代に烏孫(うそん)大宛(だいおん)などの西域(中央アジア)の遊牧民から輸入した馬の血を引くと言われており、4世紀頃からは青蔵高原一帯を支配した吐谷渾(とよくこん)という遊牧民によって育まれてきた品種です。

 

汗血馬を渇望した前漢の第7代皇帝・武帝

 

漢の景帝・武帝(ぶてい)は匈奴に対抗すべく西域の馬を盛んに輸入し、中国の馬の品種改良を行ったと言われていることから、「三国志」の時代の古代中国馬も、西域の馬の血が入っていると考えられます。この点からも、河曲馬は「三国志」の時代の馬の姿かたちを考える上で良いモデルではないでしょうか。

 

 

河曲馬は体長143cm前後、体高137cm前後、体重400kg前後で、ずんぐりした体型と強靭な脚が特徴です。これは、体長160cm前後、体重500kg程度になるサラブレッドに比べれば一回り小さい体格となります。「三国志」の時代の軍馬もだいたいこのくらいの体格ではないでしょうか。

 

とはいえ、河曲馬は体高120cm程度のポニーよりは大きく、1マイル(約1.6km)ほどの距離を走ることに特化したサラブレッドに比べ、短距離の瞬発力や最大速度は劣るものの、それでも最大で時速60km程度の速度を発揮することができます。

 

一方、強靭な足腰を生かした河曲馬のスタミナはサラブレッドに遥かに勝ります。記録によれば、2トンの貨物を積載した馬車を4頭の河曲馬が曳き、30kmの距離を2時間ほどで走破したと言います。

 

蜀馬に乗って戦場を駆け抜ける馬超

 

「三国志」の時代の軍馬は短距離のスピードよりは、広大な中国の大地を移動でき、重い甲冑(かっちゅう)を着た兵士や重い物資を運ぶことができる持久力が求められたはずです。その点では、スタミナに定評があり、足腰の強い河曲馬は、当時の馬と非常に類似しているのではないでしょうか。

 

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三国志ライフ

 

 

西洋の軍馬との比較

他の戦車馬車に激突OKなため、積極的に馬車をぶつけるレース参加者(古代ギリシャ人)

 

では、河曲馬をもとに「三国志」の時代の馬と西洋の軍馬を比較してみましょう。比較対象となるのは、「三国志」と同様、馬にまたがった騎士たちが戦った中世ヨーロッパの軍馬です。

 

世界史の馬 マレンゴ(赤兎馬シリーズ)

 

中世ヨーロッパの軍馬の流れをくむとされている馬が、フランス原産のペルシュロンです。ペルシュロンはサラブレッドや河曲馬、アハルテケなどの軽種馬に対して重種馬に分類され、ヨーロッパ原産の馬に中東のアラブ馬の血が加わった品種と言われています。

 

 

ペルシュロンは体高170〜200cm、体重は1トンにものぼる巨大な馬です。ペルシュロンはその持ち前の巨体から生み出されるパワーに優れており、中世ヨーロッパでは重武装の騎士を載せていました。しかし、河曲馬などのアジアの軽種馬とは異なり、その走るスピードは鈍重そのもので、騎士たちが突撃したとしてもそのスピードは歩兵とさほど変わらなかったと考えられています。

 

赤兎馬を乗り回す関羽

 

従って、もし中世ヨーロッパの騎士と「三国志」の時代の騎兵が戦った場合、突撃の衝撃力と防御力で勝るヨーロッパの騎士を、「三国志」の時代の騎兵たちは、機動力・スピードを生かしていなすという戦いになるのではないでしょうか。

 

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帝政ローマvs三国志

 

 

三国志ライター Alst49の独り言

Alst49さん 三国志ライター

 

いかがだったでしょうか。

 

赤兎馬を可愛がる董卓

 

日本や中国の軍馬や騎兵について論じる時、「古代の馬はポニー並みだった」という言説をたびたび聞きますが、中国において古代の軍馬の系統を受け継いでいると言われている河曲馬は体高こそポニーに分類されますが、その強靭な体格から生み出されるスピードとスタミナは決して西欧の馬に引けを取らず、戦場において十分に活躍した素晴らしい馬であったと考えるべきだと思えるのですが、いかがでしょうか?

 

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馬が動かした中国史

 

 

 

 

 

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Alst49

大学院で西洋古代史を研究しています。中学1年生で横山光輝『三国志』と塩野七生『ローマ人の物語』に出会ったことが歴史研究の道に進むきっかけとなりました。専門とする地域は洋の東西で異なりますが、古代史のロマンに取りつかれた一人です。 好きな歴史人物: アウグストゥス、張遼 何か一言: ライターとしてまだ駆け出しですが、どうぞ宜しくお願い致します。

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