今回は、奈良時代の平城京の都に渡来した、外国人の僧侶たちのお話です。奈良時代の日本は、中国大陸の「唐(大唐帝国)」との交流、つまり、「遣唐使」の使節団の派遣が活発にされていたこともあり、唐の方からも人流が生まれた時代でした。
国際文化都市だった平城京
そして、この時代、幾人も渡来僧と呼ばれる、外国人の僧侶たちが、来日し、平城京の都に住んでいました。中国大陸、朝鮮半島、ベトナム、そして、インドからも。ですから、この時代の奈良の都は、仏教を通して、国際交流が活発な都市だったと言えるでしょうか。
具体的には、以下の僧侶たちが挙げられます。
・道璿
【中国(唐)の出身】
・仏哲
【チャンパー王国〔漢名:林邑・現在のベトナム〕の出身】
・審祥
【新羅(朝鮮半島の統一王朝)の出身との説と、元は日本生まれで新羅に渡って帰国した留学僧との説もあり】
そして、ボーディセーナと呼ばれた南インド出身の僧侶です。
今回は、特に、このボーディセーナについて詳しくお話していきます。
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ボーディセーナか菩提僊那か?
それでは、まず、ボーディセーナという呼び名について少し説明します。日本では、これまで、菩提僊那と記載、発音されてきたことが多かった印象です。ただ近年は、出身地の古代インド語のサンスクリット語に合わせて発音し、「ボーディセーナ」と呼ぶことが目立ってきているようです。
ここでも、当人の出身地域の言語を尊重し、また、生前当時に、そのように呼ばれたのではないかと思いを馳せたい気持ちもあり、「ボーディセーナ」を採用し、解説していきたいと思います。
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ボーディセーナの記録は少ない?!
『南天竺婆羅門僧正碑并序』これがボーディセーナの最も古い記録と考えられている文です。
ボーディセーナの弟子の「修栄」が、師匠の死後、その偉業を後代に伝えるために、形像を造らせたそうなのですが、そこに碑文も刻ませました。その序文が『南天竺婆羅門僧正碑并序』だということです。
後に、江戸時代に下ると
「卍元師蛮」という僧侶が記した、『本朝高僧伝』という書物が登場します。これは、日本の歴代の高僧たちについて記した伝記なのですが、その中に、ボーディセーナの僧伝『南天竺沙門菩提仙那伝』があるのです。これは、先の碑文を元にして作成されたというのです。
このおかげで、現代を生きる私たちが、ボーディセーナの存在を知ることができるのです。
どのような人物だったのでしょうか?
探っていきましょう。
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謎多きボーディセーナの生涯
ここからはボーディセーナの経歴についてお話します。
生年は704年頃とする説が目立ちますが、正確には分かっていないようです。出身地は、南インド出身ということですが、正確な位置や地域を確認できる資料が現在のところでは、見当たりません。元々、バラモンの身分(ヒンドゥー教)だったということは分かっています。それがいつの頃か仏教を学ぶようになっていったようです。
姓は、「バーラドヴァージャ」や「婆羅遅」と言われています。
出身地の南インドから中国(唐)を経由して、九州の大宰府に到着しました。その後、瀬戸内海経由で、海路を進み、難波津(現在の大阪湾・大阪市中央区付近)に上陸し、「行基」に迎えられ、陸路で奈良の平城京の都に入っていったということです。
その後、大安寺という寺院に滞在し、行基と親交を深めたと伝わっています。行基からは、大仏建立の指導者には、ボーディセーナこそが相応しいと太鼓判を押されるほどでした。
そして、行基は、大仏完成を目にすることもなく、此の世を去ってしまいます。その後、ボーディセーナは、751年に「僧正」という僧侶の中での最高位につきます。752年、東大寺の大仏の完成時の儀式を取り仕切る「導師」の立場になりました。
760年には、此の世を去っています。ボーディセーナの死後、東大寺では、「四聖」と呼ばれる、大仏建立に貢献した人物たちを選定しましたが、その中に、このボーディセーナを加えているのです。
つまり、
①聖武天皇
②行基
③良弁(東大寺を開山した僧侶)
そして、④ボーディセーナの四人なのです。
ですから、奈良時代の日本では、超有名人の存在だったと言えるでしょうか。
ただ、現代において、生前のボーディセーナの確実な軌跡を知る資料が少ないのが現状です。
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おわりに
しかし、ボーディセーナが、これまでに物語に取り上げられたことは幾度かありました。次回は、その物語を紹介していきます。お楽しみに。
【参考文献】
・日本の名僧 2巻『民衆の導者 行基』
(速水侑 [編]・吉川弘文館)
・『東大寺のなりたち』
(森本公誠 著・岩波新書)
・論文『大仏を開眼した菩提僊那(ボーディセーナ)』
(小島裕子 著・鶴見大学仏教文化研究所紀要)
・論文『日本における天竺認識の歴史的考察』
(石﨑貴比古 著・東京外国語大学博士学位論文)
・奈良テレビチャンネル
「菩提僊那」